my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

春一番と更新と

不動産屋さんでアパートの更新手続きをする。以前にも書いたけれどもう何度目の更新だろう?なんて不動産屋さんとお話しする。あの頃まだ小さかった子がこんなになったのね、お母さん頑張っているのね、と褒めてくれる不動産屋さんも同志。たまに鍵を忘れてお邪魔している娘は、不動産屋さんに「最近来なくなったわね」なんて言われて、えへへと笑う。シャープな感じの不動産屋さんだったのだけれど以前よりなんだか柔らかくなって、歳と共にまるくなったし、話が好きになったなあ、とか思う。お婆ちゃんっ子で育ってきたわたしは、お年寄りの長話に付き合うのは得意だったりして、結構長居してしまった。
このアパートに娘の手を引いて来た頃、わたしは本当に精一杯だった。心に余裕もなくて、とにかく保育園、会社、保育園、家、と毎日をまるで模型の汽車が走るレールの上に置かれた風船を割らないようにしながらやるゲームみたいに生きていた。あの頃のわたしはハンドバッグと保育園のお道具と紙おむつとスーパーの袋をぶら下げて、雨の中で傘を差しているのに娘にだっこをせがまれて、泣きそうになったり、夜中に熱を出した娘を抱えて夜間病院とタクシーを探したりしていた。ふと誰かに縋りたくなる自分を叱咤激励しながら。
それでもここで暮らす毎日はいつの間にかわたしに確かな滋養を与えてくれた。小さな事に傷ついたり悩んだり怯えたりしながらもなんとかかんとか解決して、少しずつ自信をつけてこられた。
だからわたしは、今のわたしが好き。あのとき、一歩一歩歩いてきたわたしが今に繋がっている。あの頃の頼りなかったわたしを懐かしく愛おしく、こんな風に思い出せる。

不動産屋さんは部屋を探す人には色んなドラマがあるのだと言っていた。立派な家に住み、何不自由なく見えるのに、夫と別居を望み、不平を連ねながらもお金のために夫と別れない人とか。
「見た目だけじゃ分からないのよね。ちっとも幸せそうじゃないのよ」
「そうですね。羨ましくないですもん」
どうやって自立して来たか、今はどんな風に幸せか、そんなことを話す。
色んな人生がある。生まれてくる環境だって違う。だけど、その時何を選ぶかで人生は大きく変わっていく。
人を妬むくらいなら努力したいし、羨ましいなら目指せばいいし、叶わないのなら心から賛辞を送りたい。わたしはそう生きていきたい。
妬み嫉み渇望しながら、人を貶めたり無い物ねだりをして生きるよりかは。
穴だらけのバケツみたいな自分をなんとかかんとか補修しながらでも、少しは進んでいたい。
寂しいからって寄り添い合ったり、相手のためにと自分を殺したりはできない。そういうわたしをまるごと慈しんでくれる、そんな愛しか、たぶんもう心から受け容れることはできないんだ、って思う。