my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

黒蠅

黒蠅 (上) (講談社文庫) 黒蠅 (下) (講談社文庫)
検屍官ケイシリーズの最新作、パトリシア・コーンウェル著『黒蠅』*1を読み終わった。
前評判がいまいちだったので、期待薄だなと思っていたのだが、自分で確かめたかったし、シリーズは全て読んでいるので、今更読まないのも、と思って(こういうところは妙に律儀)読むことにしたのだ。
これまでと違い、複数人称で語られているため、場面転換が早く読みやすい。次々と切り替わるショットが映画的で、ページを繰る手が早くなる。凄絶な殺人現場から、科学捜査でじわじわと犯人に近づく、というこれまでの暗鬱な展開ではない分、これまでとは様変わりした雰囲気があるのだろう。これは今までのケイシリーズの愛読者にとっては違和感あるかもしれないが、個人的には特におもしろさを損なうものではなく、これも「アリ」だと思ったのだが。

全て読み終わった後で、「おもしろくない」という意味が分かった。
ケイの年齢設定が当初とずれて無理が生じていることや、既に検屍官じゃないことや、現場を離れているので検死に纏わる科学捜査の独自のおもしろさがない、ということ以前に、「風呂敷の畳み方」がお粗末なんである。
息詰まるクライマックスの最中に、いきなり「え? 終わってる?こんなんあり?」とでもいうか。カタルシスが訪れるというその直前に、いきなり失速、萎んでしまった、って感じ。たしかにクライマックスにいくにつれて、残りのページ数の少なさが心配ではあったのだが。
これはないでしょう。これは。いきなりキーパーソンが登場、その人に全てを収束させるっていうのは、時間や契約やその他諸々の作品の流れとは関係ない部分で展開を早まらせた感が否めない。
ミステリーにとって、謎解きほど重要なものはないであろうに。
これなら煮詰まると登場人物を殺してしまうという二流の作家と変わらない、ではないか。いや、カタルシスを与えないと言う意味ではもっと悪いかも。もともとコーンウェルはエンディングはあっさりしている作風だが、これじゃあ、やっぱり、あんまりだと思う。

もっと言えば、スカーペッタには、生涯検屍官でいて、ずっと現場を離れずにいて欲しかったし、時系列を歪めずに、ルーシーの少女時代をもっと丁寧に書いて、あんなに急いで大人にして欲しくもなかったなあ。

*1:講談社文庫。上下巻。「くろばえ」ってIMEじゃ変換不能。