my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

コフィン・ダンサー

金曜日の夜に残り50ページなんて、これが読まずにいられようか、という週末を迎える。というわけで深夜まで読書というお決まりのパターン。

コフィン・ダンサー〈上〉 (文春文庫)

コフィン・ダンサー〈上〉 (文春文庫)

 
コフィン・ダンサー〈下〉 (文春文庫)

コフィン・ダンサー〈下〉 (文春文庫)

映画化され話題を呼んだ『ボーン・コレクター』に続き、四肢麻痺の科学捜査専門家リンカーン・ライムを主人公としたシリーズ。ベッドから一歩も動かずスーパーコンピュータなみの頭脳で犯人を追い詰めていく異色捜査官の本作における敵は、その刺青から「コフィン・ダンサー(棺桶の前で踊る死神)」と呼ばれる殺し屋。大陪審で大物武器密売人に不利な証言をする予定の証人を消すために雇われた彼によって、民間航空運輸会社の社長兼パイロットがその毒牙にかかり、彼の妻が次の標的に。大陪審まであと2日。追う者と追われる者の息詰まる勝負の行方は…。


映画のパート2というのは転ける傾向が多いが、こと小説に限っては当てはまらない。ライムやアメリア、デルレイといったお馴染みの登場人物により深みが増していて、一層シリーズ物ならではの親しみがある。人物造詣の巧さも、ミステリーのプロットとしても、見事だと思った。細部までよく組み立てられ、引っかかりが少なく、そして最後までハラハラさせてくれる、これぞエンターテイメント!と思う。個人的には前作よりも面白かった。
内容に全く関係ないが、『ボーン・コレクター』しかり、このシリーズの装丁もあっさりしていて好きだ。スッキリとした、上下巻揃いのデザイン、描かれたモチーフは内容を端的に表現するものを一つ。帯まで含めて考えられたレイアウト。本の表紙が顔だとするなら盛り込みすぎないのは自信の現れでもあるように思う。


シリーズ物の特徴として、キャラが非常に個性的で興味深いのはどの作家の作品でもそうだと思うのだが、ディーヴァーの場合、その人の長所よりは欠点というか、欠けている部分を色濃く描くような気がする。人と違う何か。それは鋳型にはめて作った均一でどれも同じような陶器より、歪んだ手ひねりの茶碗が愛おしいのと似ている。そしてその歪んだ何かからしか生まれ得ない長所は、作中、より一層鮮やかに輝くのだ。

女が女に惚れる、というのはどういうことだろうと読みながら幾度か思った。主軸であるライムもアメリアも勿論好きなのだが、わたしは強烈に今回の主人公であるパーシーに惹かれた。こうありたいと思う女性像とも、この人が男だったら好きになる、と思うのとも、違う気がする。求めても得られないものに憧れるのだろうか。
自立していて頑固で自由で勇敢で。これだけは人に負けない、と思う輝く何かを持っている。ディーヴァーの描写は映像的なので、ニューヨークの古い地下鉄構内やら、人のいない空きビルやら、ハイテクの証人保護施設やら、目に浮かぶようなシーンが沢山あったのだが、彼女のフライトシーンは圧巻だった。操縦桿を握り、地上から解放される快感を、一緒になって感じた。その時、「惚れたわ」という言葉しか浮かばなかったのだ。

とにかく、今回の殺し屋コフィン・ダンサーはものすごく不気味だし、展開はゾクゾクした。文句なく面白かった。満足。