my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

だれも知らない女

だれも知らない女 (文春文庫)

だれも知らない女 (文春文庫)

死体となっても、彼女はなおかつ美しかった。南部の都市アトランタ、空地の夏草のかげで発見された若い女性はだれなのか?なぜ殺されたのか?市警殺人課のフランク・クレモンズの心に、その女のことがこびりついて離れない。不思議なのは、これほど人目をひく美女なのに、だれも知らないことだ。興趣つきない犯罪都市小説。


(「BOOK」データベースより)

フランク・クレモンズを主人公とするシリーズ一作目。これまでねっとりと濃密な記憶シリーズに身を浸していたせいか、意外なことにさっぱりと読みやすい。クックのクックたる所以はたしかに味わえながら、トラディショナルな推理小説やハードボイルド的なリズムも踏襲されているからかもしれない。
殺された一人の美少女の光と闇。一人の人間というミステリーを相変わらず深く掘り下げてはいるのだが、警察官が主人公なこともあり、そこにはある種の芯がある。善悪ではなく、己の心の闇でもなく、求めるのはひたすら「真実は何か」という一点であるという、明確さ。それが本書を逃れる術のない泥土のようなクックの魔力から、救っているのだろう。クックワールド満開な記憶シリーズより、導入部としては入りやすいかもしれない。

それにしても、記憶シリーズより若い作品だからかもしれないが、どちらかというと抑えた筆致でありながら、滲み出るクックらしさが却って推理小説を文学的に仕上げている気がする。伝統を踏襲して尚、叙情的であることにひたすら感心した。そこには警察や探偵小説にありがちなマッチョな男のナルシスト要素も、ポーズとしての傷の披露もない。かといってこちらまで滅入ってしまうほどウェットに傾くこともない。この抑えたバランスが却って安心感があった、というのは皮肉かもしれないが。
それでも、如何にクックが書き手として強烈な個性を持ち、抜きん出ているか、ということの証でもあるだろう。

伝統と個性の拮抗、挿話の巧みさ、どんでん返しや解決のカタルシス、と、バランスの非常によい作品だと思った。乱暴で騒々しい警察小説やトリックを楽しむ探偵小説じゃなく、もっと文学的なものが読みたい!とか、湿気たっぷりの記憶シリーズより湿度が低い方から始めたい、そんな人には是非お勧め。


それにしても人より何か恵まれすぎていると言うことは、非常に危険で不幸なことなのかもしれない。余りにも与えられていたら、極端な栄光と凋落に翻弄されて生きなければいけないのだから。ああ、お金持ちにも美人にもセレブにも天才にも生まれなくて良かった。平凡万歳!我が人生万歳!(注・決して負け惜しみではありません)