my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

六歩目のあゆみ

今日はとても嬉しいことがあった。ああ、苦節2年。変われば変わるものだなあ。
というのも、いきなりでは何のことかわからないだろうから、はてなに移行する前の、昔の日記を掲載してみます。長いけれど、お付き合いください。

2003.7.18   一歩目の「あゆみ」

娘の初めての一学期が終わった。終業式の日は帰宅が早いので、学童はお休みしてわたしも一日休みをもらう。朝は久々にのんびりと珈琲を飲んで、お掃除をして、とちょっぴり専業主婦気分の優雅な時間を味わっていたら、早々と10時過ぎに大荷物とともに帰宅した。
引き出しの荷物やら夏休みのプリント、そして、なんとなく見るのが怖い通信簿である。

おそるおそる開けると、一年生の一学期だからだろう。「よい」「もう少し」の2段階評価しかなく、各教科にそれぞれいくつかの項目があって、それについて「よい」「もう少し」に○がついているのだ。
自分の時代のときのことはすっかり忘れているので、「こんなんだったかなあ?」と今ひとつピンと来ない感じである。
お勉強といってもひらがなの練習や読み書き、十までの加減算しかしていないので、勉強のほうはすべて「よい」になっていた。
しかし、生活態度というところを見ると、「もう少し」があった。

わたしは子供時代、成績は悪くなかったが、この生活態度というところが、いつも気になっていた。というのも、わたしは要領が悪くてとろい子供だったので(今では会社の人たちに言っても誰も信用してくれないだろうが・・・)、てきぱきとやりたくてもどうしてもできなかったのだ。自分なりには頑張ったつもりなのだが、周りのペースについていけないことも多く、手を抜くべき箇所が分からないので余計に焦り混乱する、の繰り返しであった。そして、そのへんを指摘されるのが、自分でも十分に分かっているだけにつらいのであった。
そんなわたしだから、個人的には、お勉強ができる子より、そつがなくて「きちんとした」子に憧れてしまう。

しかし、娘のチェックされている項目を見ると「話をしっかり聞く」「身の回りの整頓ができる」なのである。ありゃりゃ、とともに、やっぱりなあ、という感じだ(笑)。
先日の参観日に娘の引き出しを見て、眩暈がしたのも記憶に新しい。丸めたティッシュやら消しゴムのカスやらが入っていて、信じられなくて、開いた口がふさがらなかった・・・。それ以来、口を酸っぱくして、引き出しを綺麗にしろ、抜き打ちで覗きに行くぞ、といい続けたのであるが・・・。
担任の所見には「何事にも意欲的に取り組み、給食の配膳などはとても上手でした。思ったことを友達にはっきりと言えます。身の回りの整理や言葉遣いに気を付け、2学期も頑張りましょう」とあった。
自分の幼少期とかけ離れているので、どうしたらいいのか分からないわたしであるが、娘の代でもこの「生活態度」という評価に心を痛めそうである・・・。

その後も一年生の時から担任もクラスも替わっていないのもあるし、全く評価は変わることなく、「生活のようす」の欄は一年の二学期から「もう少し」が更に一つ増えていた。それが、他はともかく「友達となかよく遊ぶことができる」という項目だったのが、正直かなり参っていた。わたしから見て、友達とも仲良く遊んでいるし、特に問題ではないように思ったのだが、何故先生がこういう評価を下すのか、納得も行かず、しかしそれも親の欲目かも知れないとずっと悶々としていたのだった。娘自身も「お友達と仲良くしているのにおかしい」とは呟いていた。
娘は何かに熱中し始めると、気が済むまでやりたがるという切り替えの出来ない性格だったし、そのことで迷惑はかかったのだろう。それに、乱暴を働く男の子を許さず、果敢に口で対抗するため、そこだけを見ると衝突や誤解の多い子だったろう。ただどちらかというと、乱暴な男の子にふっかけられることが多く、娘の性格上黙って引き下がらないため、どちらかというと被害者ではないかと思ったこともあるのだ。傍目には、こんなことは言いたくはないが女性教師は男の子に甘いのも感じていたし、原因そのものが明確に見えなかったのではないかとも疑っていた。勉強の評価より、生活態度の評価の方がずっと大切だと思っていたのでその事は密かにずっと心配でならなかった。

けれど、いつか分かる、そう信じていた。親バカでも信じていたかったし、娘の良さは絶対に伝わると思っていた。売られた喧嘩には出ていくが、自分からは絶対喧嘩をしない子であることや、面倒見の良いこと、傷つけられても寛大なこと。そして徐々に我慢が出来るようになってきたのも感じたので、無駄な喧嘩など売られても無視することを何度か話したりもした。

二学期に成績が上がっても生活のようすの評価は変わらなかった。それでも成績が上がったことを娘は素直に喜んでいた。「あゆみをもっとよくするようにがんばる!」と新年の目標にも言っていた。わたしは応援しながらも、正直、成績ほど楽に生活態度に対する評価は変わらないだろう、と、この先生には分かって貰えないかもしれない、と、半ば諦めかけてもいた。


でも、今日、にやりとしながら通信簿を手渡す娘。見てみると成績は更に少し上がっていて、生活のようすは三つあった「もう少し」が一つになっていた。二年生の最後に、やっと、何かが先生の評価の中で変わったのだ。
残る一つは「持ち物の整頓ができる」のみ。これは、もう素直に納得できる…。もうね、これはいいよ。これは。人間治らないもんもあるっちゅうもんだ!

やっぱり、自分の大事な人は、他の人にも認めて貰えると嬉しいものだ。「よく頑張ったね、偉かったね」と娘の満面の笑顔を見て、頬ずりをした。

さ、明日は美味しいお弁当、作ってあげなくちゃね。