my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

定時帰りの日々

桜の森で戯れてすっかりリフレッシュしたとはいえ、今日もお仕事は続く。しかし、波が引くがごとくすっかり暇。これまでの忙しさの反動かと思いながらも、ここで弛緩はできなかったり。定時に帰るのは大好きだけど、日中暇なのは嫌いなんです。貧乏性なんだよね。つい、忙しそうな同僚のお使いを買って出てしまった。
昨日とはうってかわった渋谷の雑踏。いつ来てもここは一体どこからどんだけ人が湧いてくるんだろう、と思う。渋谷は松濤美術館以外は殆どプライベートで来ない。沢山面白い場所は散りばめてあるのに、お散歩する心のゆとりを与えてくれない街なんだなと思いながら歩く。ビジネス街のようなレジャースポットのような、なんでもあるけど、なんにもないともいえそうな、そんな街の気がして。
帰社すると、わたしが軽くなっている一方できつくなっている人がいる、という事実。今月からわたしの担当ではなくなったので、数人に分けて引継したのだけれど、明らかにしんどそうだ。訳が分からないヘルプメールが届いていた。
ヘルプを出されてよく感じるのは、こういう場合、人には二種類あるってこと。わからないこと、困ったことに対して今の現状をどう対処するかだけ知りたい人。ある程度調べて頭の中を整理して、うまくいかなかったことを具体的に話せる人。当然教えやすいのは後者。理解度も応用力も違う。
「マニュアル読んだ?」
「いえ。とにかく失敗したら怖くて・・・教えてもらったこと以外はできなくて。」
「怖いのはわかるけど、何をしたら怖いのか、何をしたら大丈夫なのかを分かってから怖がりなさい。ただ困って同じミスを繰り返しているより、調べた方が早かったじゃない。」とお説教。
仕事に例外なんて付き物。新卒ならばともかく、わからない→教えてもらうという公式だけでは、仕事はこなせないんですよ、と伝えたかった。習熟する、ということは、ただ要領だけでできるものではないのだと。
与えたものを十分に吸い取り、応用させていける子もいれば、額面通り受け取って、与えたことしかできないままの子もいる。言われなくても気づく子と言わなければならない子と。今はほんの少しの差。だけど大きく変わっていくんだろう。岐路はまだ見えないけれど。