my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

女王の教室


初回は見逃してしまったものの、先週今週と娘と見ている。今日も番組のダイジェストをやっていたのだが、つい見てしまうインパクトがすごい。極端だとは思うものの、妙なリアリティが感じられるというか。離婚弁護士では有能だけれど愛すべきキャラとして登場した天海祐希が、今回は冷血漢そのものの鬼教師役。ちなみに愛嬌あるキャラクターが固定されない内にこの役を選んだのは女優として正解だと思う。今回は全身黒ずくめで、修道女のような全く露出のないシルエットの洋服、クールで無表情で、何をやっても完璧な様が妙にはまる。
内容は鬼教師が生徒を徹底的に圧制下に置く、というものだが、このやり方が実にえげつない。成績上位者には特権を与え、下位2名には雑用を一手に引き受けさせる。教師に従わなかったものは罰を与え、反抗を一切許さない。何があってもルール第一で、結果第一、努力したとか今回だけは、という情状酌量の余地は与えて貰えない。PTAはうまく丸め込み、同僚教師や校長たちも彼女の行状を見て見ぬ振り。そして軍隊のようになっていく6年3組の教室。
鬼教師真矢の傍若無人ぶりに娘はどのような反応を示すかと思っていたら、怒るどころか「かっこいい〜」だって。天海祐希の鬼教師ぶりにクールビューティ大好きの娘の心はしびれてしまったようだ(我が子ながらおかしいと思う……)。

番組の掲示板を覗いてみると、あまりの過激さに放送中止にしろとか不快感を書き込んでいる人もいた。が、子供たちが痛々しくもあるのだけれど、わたしは所詮ドラマだと思って見ているせいか、不快にはならなかったのだ。
たしかに、極端は極端なのだが、不思議と見ていて心地よい部分もあるのだ。たとえば、生徒たちに服従を強いる反面、一人一人の子供たちの誕生日や体格は言うに及ばず性格や家庭環境をくまなく把握していたり、いざというときは全く役に立たないであろう学校側の防犯訓練を公然と否定し、自身はぬかりなく犯人を捕獲できるだけのトレーニングをしていたり。(余談だが、娘の通う学童クラブには未だ娘の名前すら間違う職員がいるし、慣例だからという理由で危険があっても何も変えようとはしない校長とかがいるのが現状・・・。)
学校におもちゃを持ってきてはいけないことも、授業中に私語を慎むことも、休み時間中にトイレに行っておくことも、当たり前のことだ。*1子供のご機嫌を取る必要はないし、言っていることは尤もだと思うことも多い。勿論、結果主義や懲罰の与え方など、真矢に賛成するわけではないけれど、彼女一人が問題なのだとは思えないのだ。
子供がどんな目に遭っているか知らなかったり、厄介事は避けたいと思う親や教師がいるからこそ、こんなことになるんだとか思えてくる。


学園ものといえば、一時期のような熱血教師もの、明快な青春ものは今ひとつ流行らなくなってしまった。金八先生は昔のような明快さが望めなくなって久しいし、スポ根ものも昭和の匂いしかしない。すっかり母性化してしまった今の教育現場には馴染まないし、リアリティが感じられないからだろう、と思う。ゴクセンは、失われつつある父性を女性が演じることで功を奏した作品だと思うが、今、シリアスに受け容れられる学校の姿ってどんなのだろう?という問いに制作側が出した一つの答えが、これだったのか、と思ってみたり。


いつの間にか世の中は「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」的な指向に向いていってしまったのではないかと思う。勿論、あるが儘の自分でも受け容れてくれる世界が必要だとは思う。でも、最初から何も為さず「オンリーワン」に胡座をかいてしまっていていいのか、とも思うのだ。ナンバーワンになりたくて、結果が欲しくて、心身削って無理をする、そういう時期だって成長過程には必要なのではないかと。
オンリーワンだと慰めるには、ナンバーワンが欲しくてのたうち回ってからなのではないかと。
ナンバーワンに「なれなくてもいい」けれど、「ならなくていい」のではない。最初から放棄していたらオンリーワンとして輝くことすらできない気がする。


番組紹介を見る限り、今後子供たちが反乱を起こし、真矢に立ち向かっていくようだが、どんな風に子供や親や真矢が変わっていくのか、ここがドラマの要となっていくんだろう。それまではしばし真矢のサディスティックぶりに、邪な楽しみを憶えつつ、見ていこうかなと思っていたりする。

*1:正直、最初参観日に行ったときには「わたしが教師なら物差し持って歩くかもしれん」と思った…。