my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

最後の審判

最後の審判〈上〉 (新潮文庫)

最後の審判〈上〉 (新潮文庫)

最後の審判〈下〉 (新潮文庫)

最後の審判〈下〉 (新潮文庫)

湖畔でマリファナとワインに悪酔いし、気がつくと恋人の刺殺体を目の前にしていたという姪の事件を手がけるため、弁護士キャロラインは、23年ぶりに帰郷する。予審が開始されるが…。法廷サスペンス3部作完結編。


『罪の段階』では聡明かつ公平な女判事として、『子供の眼』では辣腕だが影のある弁護士として登場したキャロライン・マスターズが主人公。ゆえに読む前から俄然期待が高まる。というのも、これまでに登場してきたキャロラインは、優秀で野心家でありながら、常に痛みが分かっている人間特有の配慮ある言動を示すからだ。品格や育ちの良さを感じさせながらも、過去については語らず、どこか翳りを帯びた謎を感じさせる女として前作でも前々作でも描かれてきた。そんなキャロラインに何があったのか、何が彼女を形作ったのかが、現在進行形の姪の予審と絡ませながら語られていく。


読み始めてすぐに、クックを読んでいるかのような錯覚に落ちた。キャロラインの遠い夏は幾重ものヴェールに覆われていて、めくられていくたびに、痛みを伴わずにはいられないからだ。過去と現在が入り交じり語られていくその様は、クックのような時代めいた重さと甘さを持っている。そしてこれまでのパジェットが主人公の作品のように三人称で様々な角度から語られるのではなく、常にキャロラインからの視点に固定されていたことも、これまでと違う感覚を持った一因だと思う。23年前にキャロラインが捨てた故郷。そして23年間の間に再構築せねばならなかった自己。それはいったい何故だったのか。


そんなわけで封印された記憶を解いていく前半はクックのごとく、なかなかページを繰る手が進んでいかなかったのだが、後半からは気になって仕方なくなり一気に読んだ。予審が始まり、事件の様相が明らかにされ、破綻のない謎解きがされ、全てのピースがはまって一つの壮大な絵が見える。緻密に作られたプロット、繊細な心理描写、懸命に生きる女性像とそれを暖かく抱きしめる作者の視線が感じられるかのような結末。
クックのように古い物語の暗鬱さと、初期のマーゴリンのような畳みかける展開とを持ちながら、読み終えてみれば、やはりパタースンだった。

それにしても、パタースンはキャロラインのような、かっこいい女性がさぞかし好きなんだなあ、と、思う。プロフェッショナルでそれでいて傷を負っている女性。彼がいつも丁寧に描くのは、そういう女性たちの心の有り様だったりする。
普通男性作家の描く女性像はどこか美化されていたり、外側をなぞっているだけのような描写が多くて、血の通わない人形みたいだと感じることが多いが、パタースンの細緻な女性像には、それがない。『罪の段階』でも、どの女も「生きている」ことに舌を巻いたが、今作のキャロラインも見事に謎の女ではなくなっていた。女の中に潜む深い河みたいな感情も、負った深い痛手も、穏やかに柔らかに受け容れてあげたいと思っている、そんな作者の視線が感じられるようだ。

しかし、現実問題として、あまりにも鈍い男性もアレだが、ここまで鋭い男性もやはりアレではなかろうか。(ごにょごにょ)
だって、みんなキャロラインやテリみたいに健気で努力家で立派だったりとかしないもんね。適当に騙されてくれる方がありがた・・・(もごもご)。