my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

最初の恋人と最後の愛人

既婚の男性陣と飲んでいて、昔の恋の話題になった。

「ふられた女性のことは今でも気になるし、未練が残る。」

「ふった女性については、今でも自分のことを好きでいるだろうと思う。」

要約するとそんな感じの話題。

・・・へぇ・・・。

世の中の大半の女性はそうなのだろうか。

私は振られた人のことを何年も覚えているようなこと、できない。

大半のことは忘れてしまった。いや、思い出せない、という方が正しいか。

昨日会社で読んで、そうそう、男ってそうよね〜と思ってしまった。

以前テレビで島田紳介が実に上手いこと言っていた。彼の表現を借りるなら、「男は昔の彼女と今出会っても、まだエッチできると思っている生き物だ」

勿論個体差はあるけれど、基本、男はこう言うものだと思う。

過去の恋の話なんていうのはそれぞれの主義主張がぶつかることもないし、その人がどんな人かも分かるし、で、ある程度気心が知れていれば却って無難な話題なので、場が盛り上がってくると話題に上る。そしてその時いつも、男性の話と女性の話では微妙に温度差があるような気がしていたのだ。男性の話は糸を引くような、思いを残した余韻を感じる、というか。過去と現在が数珠繋ぎになったような男性の恋の想い出話を聞きながら、彼らの中では恋は終わっていないんだなぁと感じていたのだ。だから紳介の言葉を聞いて、「うへえええ、そうなのかぁ」と軽くショックを受け、また納得もしたのだった。

・・・でもさあ、女の私はどうしても理解できないんだけど、本当にそうなの?
はっ、もしかして男女関係なく、そういう考えの人の方が多数派なの?


安心して! id:feverfewwildさん。わたしをはじめ、たぶん世の中の女性の大半は、そういうもんじゃないはず。別に統計を取った訳じゃないから何とも言えないけれど、かなり高い確率で、女は今と過去は別にしている生き物だと思う。
女は現在と未来があれば、生きていけるんじゃないだろうか。長く尾を引くような記憶もロマンティックではあるけれど、それはそれ、というか。実を取りたい、というか。今、そこにいる人が大事になったら、過去の想い出はちゃんと畳んで記憶の引き出しに収納させてしまう、というか。時々取り出して、撫でてみることはあっても、身に纏うことはしない、というか。


そう言えば、かのユーミンもこう歌っている。

男は誰も最初の恋人になりたがり、女は誰も最後の愛人でいたいの

最初の恋人というのは、最も印象に残る、いわば想い出の中の特等席の喩えなのかもしれない。対して最後の愛人というのは、紆余曲折を経て、行き着いたゴール地点のようなもの。そして、恋人は甘やかな響きを持っていて、愛人は肉感的かつ世俗的な匂いがする。女は、彼の神聖な記憶の神殿でいかな丁重に祀られるよりも、ただ抱きしめてもらうことの方が「愛されている」と実感しやすい生き物なのだと言っているような気がする。


以前そんな話をしたら、後輩の男の子が「ああぁ、女って現実的で冷たいんですよね」と呟いた。
そうだろうか?
女の方がひょっとしたら、不器用なだけかもよ。
冷たいのじゃなくて、想い出の中の人も目の前にいる人も、複数同時進行で抱え込めるほど器用じゃないのかも。しかも生きていくほどにその数は増えこそすれ、減りはしないんだから、未練やら恋心を残してばかりいたら厄介極まりない。今全力投球するには、忘れていくしかない、忘れていかなければ、次に進めない、そんな生き物なのかもよ。