my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

センセイの鞄

センセイの鞄 (文春文庫)

センセイの鞄 (文春文庫)


どうもわたし、映画「レオン」だとか、この手の、一見ありえない組み合わせでの恋というのに弱い気がする。なぜかと問われれば、おそらくナマナマしくないからなのかもしれない。人の恋は読んでいて下世話に面白い。けれど、あまり生々しいと目を覆いたくなったり、やりきれなかったりする。もちろんすべてがそうではないかもしれないけれども、まるで公衆の面前でのラブシーンみたいに、目のやり場に困るとでもいうか。食傷してしまうというか。でも、こんな風に欲得やら俗世から切り離された関係で見せられると、それこそ、心というものがシンプルに際立って見えてくる。

何故その人でなければいけないのか。何故、そばにいたいと思うのか、という不思議が。


先生、という言葉はどこか甘い。それをカタカナにしてしまえば、拙くてもっと甘い。大人の女が「センセイ」と呼べば、目線が見上げる形になり、それはエロティックですらあるような気がする。こういった関係の中でしか、たぶんツキコのような女は素直に甘えたりできないんだろうなぁ、と読んでいて思う。人と深く濃く交わることを敬遠しがちな彼女には、何もかもフェアな恋はあまりにもキツイのだろう。抵抗なくお説教されたり、頭を撫でてもらえるような相手としか、関係をつなげなかったのかもしれない。情欲やら駆け引きやらと切り離された恋なんて、それはそれでかなりいびつな形なんだろうとも思うけれど。甘えられて、温かくて、束縛しなくて、激しくなくて、心地よくて、だけど少し物足りなくて。年を経てこそ、邪魔っけなものが削ぎ落ちて、居心地よくなっていく関係もあるのかもしれないなぁ。それに、こういう、庇護され庇護する、という関係に憧れる気持ちは女なら誰にでもある。・・・ような気がする(自信なさげに)。



センセイのような人が実在するかはさておき、いても恋するかどうかはさておき、リアリティがあるかどうかもさておき、食べ物がたくさん美味しそうに出てくるのは素敵。ほろりとする終わりもよかった。やがて終わるもの、だからこそ、恋も生も似ているのかもしれない。