my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

バッテリー

バッテリー〈4〉 (教育画劇の創作文学)

バッテリー〈4〉 (教育画劇の創作文学)


バッテリー〈5〉 (教育画劇の創作文学)

バッテリー〈5〉 (教育画劇の創作文学)


図書館から連絡があり、リクエストしていたバッテリー4、5を立て続けに読むことができた。そしてまた興奮する。案の定寝付けなくなる。正直、野球なんてよく分かっていないし、ナイター中継なんてやたら延長が多くてだらだら退屈だとか思っている程度。その程度のわたしでも、「巨人の星」は面白いと思ったし*1、大リーグで活躍する選手を見て喜びもする*2
要するに題材を問わず、面白いものは素直に面白いと伝わってしまうものなのだろう。そしてこれを児童書にしておくのは確かに勿体ない話だと思う。女性がこれを書いたのか、と舌を巻きもする。

綺麗事で終わらせない、若きエゴの葛藤や衝突。傍目には見えない人の心。研鑽することで膨れていく自我。単純そうな青年の中にある韜晦、強固な少年の中の繊細、踏みにじられ、踏みにじり、何度も傷を負うプライド。
大人は端で見て簡単に「友情」だの「感動」だのとくっつけたがるが、そのプレイの裏にあるのは、持てあますほどのエゴだったりする。それを容易く美談に仕立てあげたがることの愚かさ。心の底に巣喰っている彼らの欲を間違っているとか受け入れないとかいうのも、なんて傲慢なことなんだろう。
読みながら胸に手を当てて、自問自答する。わたしは大人の単純な眼鏡でいつしか子供たちを見てはしなかったか。わたしの目は曇ってはいなかったか。と。容易い物語を子供たちに与えるのはよそう。若さはそんな手垢のついた物語から自由であるべきなのだから。


主人公の巧ほどわたしには才能があるわけではない。しかし、読んでいて巧の自己中心的で傲慢で頑なな生き方にひりつくような痛みを感じる。若き日のわたしは、少なくとも傍目からどう見えたとしても、豪や海音寺とはほど遠い存在だったろう。
あのまま生きていたとしたら、折れることなく、撓むことなく、収めることなく、丸めることなく生きていたら、どんな風になっていたのだろう。苦しいだろうな、と思う。やりたくはないな、と思う。そうやってわたしは何を失い、何を得たのだろうか。
あの時とは変わってしまった。変えてしまった。でも、そういう自分が、嫌いではない。
そしていくら経っても変われないものも抱えたままでもある。

*1:新巨人の星はいかがなものかと思ったけど

*2:とはいえ、野茂ばっかり応援し続けているわけなんだけれど