my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

訂正線

リセットできる消しゴムが欲しい。言ったこと、やったこと全てを自分やそれらの人々の記憶から都合よくなくせるものがあるならば、それが欲しい。

ああ、同じようなことを考えている人がいるなあ、と思ってしまった。ふじわらさんにはそこはかとなく通じるものを(まったく一方的に勝手に)感じているのだけれど、わかるなぁ、と。でもね。やってしまったことが消せたなら、そりゃもうあれやこれやいろんなこと消して回って、それこそ自分という人がどんな人だったか、自分にも他人にも何も残らないかもしれない、なんても思ったり。

リセットボタンも消しゴムもなくて、人生は一回きりだから真剣に生きられるのかもしれないし。完璧な言動しか、人の中に残らないって言うのもなんだか寂しいし。できればとんでもなくおドジでどうしようもない欠点だらけのわたしを「しょうがないなあ」と受け入れて貰うことのほうが、完璧なわたしを気に入って貰うよりも、ずっとずっと嬉しくもあるし。

それに、全く個人的な意見だけれど、こんな風に思う人って、こんなこと全く思わない人と比べて遙かに言動がデリカシーがあって穏やかなような気がする。何故って自分を省みることができて、他人を思えばこそ、そういう気持ちになるものなのだと思うから。

思い出せば、恥ずかしいことや愚かさに消えてなくなりたくなることばかりだけど。でも、でもさ。変えられるのは未来だよ。ね。せめて消しゴムで消せないなら、修正液でごまかせないなら、間違えちゃったって舌出して、訂正線でも引こうかな、と思うの。昨日の失敗を糧にして、今日に活かそうって。
わたしは、未来さえあれば生きていける、そう思うんだ。いつも。