my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

北風の中で

珍しく1時間以上の残業。これまで本社で任せていた担当の仕事に多少不安があって、やはりこれからはわたしの方でやると引き継いだ。その仕事が、「ああ。やっぱり…」と言いたくなるような手抜きばかり。こんな雑な仕事は正直、始めて見た。
「あんまりじゃないか」と思いたくなるような代物を平然と寄越し、説明も謝罪の言葉もない。「これまで担当してきた誰がこんなところで手を抜いたよ!」と言いたくなる気持ちを堪えて、出来るところまでは綺麗にしようとしている横でその人は定時に退社していく。わたしが先代の担当から教わり、拙いなりに心を込めてしていた仕事が、適当にこなされているのを見て、悔しくて涙が出そうになった。娘を待たせていることや、諸々の焦りも加わると、憤ったり、切なくなったりする。
仕事に対する意気込みや丁寧さや出来具合というのは、他人に強要することではないのはわかっている。けれど、「できること」もしたくないから「できない」と安易に言ったり、「わたしはあなたのように優秀じゃないから」と開き直る様子を見ていては、開いた口がふさがらない。その人のモチベーションを上げる方法なんて、きっと誰もがこれまで見つけられなかったから、その人はその人のままで生きてきたんだし、これからも生きていくんだろう。
悔しさや悲しさでとぼとぼと夜の華やかなネオンの中を歩いていると、携帯電話が鳴った。「ママ。今ね、あやとりの箒が作れたよ」娘の声だ。思わず、涙がこぼれそうになる。
「まだ会社のそばなんだよ。ごめんね。いつもなら一緒にいられる時間なのにね。早く会いたいなあ。」
北風が冷たくて、コートの襟をかき合わせながら、電話の向こうにある温かな温もりを思い出す。
「ママ、可哀想。お迎えに行ってあげようか?」
「大丈夫だよ、もう暗いし寒いし、おうちにいなさい。なるべく早く帰るからね。待っていてね。寂しかったらおばあちゃんと電話してね。」


どうすればもっと歩み寄れるか、一緒に頑張れるかをこれまでずっと考えてきたけれど、もう、いいや。
そんな気持ちを誰かが見ていてくれたり評価してくれる訳じゃないかも知れないけど、もう、それもいい。誰も分かってくれなくてもいい。
あなたは変わらない。これまでもそうだったし、これからもきっと変わらない。
届かないのは、分からないのは、分かりたくないからだ。

それでも、わたしはわたしに恥ずかしくない仕事をしよう、そう思うだけだ。