my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

土の記憶

昨夜図書委員の方から携帯メールが入っていて、今日が図書の入れ替え日であったことを教えて貰う。うっかり忘れていた。先週本の選定に行ったので、今週は搬出と搬入だったのだ。班長さんがまめな人だと本当に助かる。焦ったとはいえ、一時期は200冊だった図書も先生の要望で「2箱に収まるくらい」となり、100冊に満たなくなったので、運ぶのも数えるのもそうきつい仕事でもなくなっているから、会社に遅れるほどの作業にはならないだろう。

一時間目が始まる前に作業を終えたいので、娘と手を繋ぎ登校する。わたしと一緒に登校できる日は娘はとても嬉しそうだ。冊数を数えたら、今回はぴったりだったので廊下に出して、携帯で係の方に連絡し、そのまま出社。いつも通り出勤できた。

このところ仕事が緩やかに忙しくなっているのと、引っ越しに向けての打ち合わせなどで部長が立て込んでいるので、なんとなく社内は慌ただしい。下見に行ってきた部長に場所を教えて貰ったら、今度の場所はなかなか良さそうな立地条件。ここのところ全く足が遠のいていたが、東京で一番好きな通りに通うことになるのかも知れない。会社帰りにしろお昼ご飯にしろ、誘惑が多くて嬉しすぎる。更に通勤は電車に乗っているのは20分未満になりそうだ。本を読めなくなるのだけは悲しいけれど、通勤1時間のお疲れサラリーマンコースから解放されるのは嬉しい。というわけで心は既に初の勤務地港区に向けてウキウキしている。
出社時間も元に戻るだろうし、朝も下手したら1時間近く余裕が出来、帰りは変わらず、ということになるのかな、などとあれこれ乗り換え案内などを調べて通勤経路を考え、ニマニマしているわたしは変だろうか?

もちろん今いるオフィスが嫌いなワケじゃないのだけれど、上京して以来東京の西側に住み続けたわたしには、ど真ん中から東側は何故か馴染めなかったりするのだ。東側の方が東京湾に近く、「江戸」であった頃の雰囲気は残っていると思うのだけれど。いや、だからこそ、なのかもしれない。かつて畑や荒れ地しかなかったであろう土地の方により親しみや安堵を感じるのだろう。


土地にも記憶みたいなものがあるのかも知れない。かつてあったものを抱いて土地も年月を経ていくのだ。その上に似たようなビルが建とうと、チェーン店が並ぼうと、土地全体の持つ雰囲気や空気や匂いが違うと肌で感じるのは、そういう過去あったものを漂わせているからではないか、などとなんとなく思う。