my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

振り返る日々

今のオフィスから年内いっぱいでお引っ越しになるようだ。わたしは親会社に出向しているので、いつもボスといっているのは親会社の社長のことだったのだけれど。本社のスペース広げて、新しいビルで年明けということになりそう。自宅からは通勤は今よりうんと楽になるけれど、多分今以上に混むだろう。このビルも1年半いたのかぁ。
自分で何も出来ない(というか、したことがない)ものすごいおじさんに囲まれてなんだかなぁ、でもあったり、でも女一人だし留守番が多いし、住めば都でもあったりしたけれど、後一ヶ月強かと思うと、なんとなく感慨が多い。

ふと思い立ち、去年の春の日記のファイル*1を引っ張り出してみた。このビルに来た頃の自分に会いたくて。

2003.4.8 揺れること

娘の入学と同時にわたしも勤務地が変わった。
通勤時間が1時間以上かかるようになり、勤務時間も娘の帰宅に少しでもあわせてあげたくて30分繰り上げたため、朝の余裕は相変わらず殆どない。通学路の途中まで今週1週間は送ろうと決めたので、娘が一人で学校に行けるまでは、更に慌しい。
霞ヶ関へと向かう満員電車の慣れない人ごみと、まだ引っ越したばかりで足りないものだらけの、真新しいオフィス。
それでも、新しい環境になることが、以前ほどそんなに嫌ではないのは、ちょっとだけ、わたしの心に余裕があるのかもしれない。
とはいえ、始まる前は色んなことが心配で、眠れなかったり、不安いっぱいだったのだけれど。

なんとかなるものだ、と開き直ることが肝要だとは、頭で分かっていても、なかなか心がそれに追いつかないことがある。
なるようにしかならない、と腹をくくるまでに、やはり心は右往左往してしまう。
それは、幾つになろうと、そうなのかもしれない。
10代の頃の自分には今の自分は、想像もできない「人生、固まって、終わっちゃったヒト」だったと思う。
結婚して、子供がいて、家庭に収まって、気持ちは穏やかになり、悩むことや悲しむことがなくて。
そんな陳腐な想像しかできなかった。
とんでもない話だ(笑)

人生に完成なんて無いように、心だって、揺れ動き続けるのだ。閉じていない限り。
だからこそ、揺れることを楽しめる、そんな大人になっていたい、と思う。

当たり前のように思える毎日も、少しずつ変わっていくんだなぁ。ここへ来ても幸せだったし、多分これからもわたしなりのハッピーを見つけていくんだろう。
新しい土地にもどうか良き風が吹きますように。

*1:htmlをひたすら書いていた頃のとても不定期な日記