my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

諳んじたい言葉

娘が突然「智恵子は東京に空がないといふ」なんて言い出す。ははぁ、これだな、と予想が付いた。

にほんごであそぼ
http://wmg.jp/nihongo/index.html
http://www.nhk.or.jp/kids/nihongo/

この番組は学校でも視聴しているとかで、子供たちの間ではかなり認知度が高い。そのことを知らない頃は「ややこしや〜〜」と狂言口調で謡いだしたりしてビックリした。これは野村萬斎が登場して、大人から見てかなり奇抜な番組になってからのことだ。他にも寿限無を諳んじているし、春の七草を教えたら喜んで覚えたりする。「雨ニモマケズ」を好きだと言い出したり、と、国語好きのわたしにとってはこの番組は面白いことが沢山ある。
娘の様子を見ていると、子供は難しい言い回しにも、使っていない古語にも、意味の理解できない言葉にも、別段抵抗を感じないようだ。寧ろ理解できない方が嬉々として受け入れている気がする。言葉の背景や作者の心情よりも、音として発する楽しさ、なのだろう。
たまたま手元に『レモン哀歌』(ISBN:4087520056)があったので、原典を捜す。タイトルを失念していて、探すのに手間取ったが、「ありふれた話」というタイトルであった。わたしもこの詩が好きだ。というか、こんな言葉を言ってみちゃう女性と、そんな女性のそんな言葉を愛する男性が好きなのかもしれない。
この詩はどういう人が書いて、智恵子とはどういう人で、とかいうことにも興味を示すので、「レモン哀歌」の詩を朗読する。そしてその詩を簡単に解説すると、理解したのか、理解していないのか、娘は不思議な顔をして「でも智恵子さんって、本当にいたのかなあ」と呟く。たしかに、この二人の物語は非常にロマンティックで、日常的些事からも遠くて、夢のように思えるのだろう。事実、この詩を読んだ頃のわたしもそう思ったものだ。「智恵子さんも光太郎さんも芸術家だからねぇ」などとお茶を濁し、実は二人ともかなりな奇行ぶりで有名だったらしいとかいうことは言わないで置いた。

ともあれ、「ありふれた話」を暗唱しようとしている娘に「寿限無を覚えた時みたいに、書き写してみたら?」と提案する。暗記だけでなく文章に習熟していくには、書き写すというのはかなり有効な手段だ。わたしも高校生くらいの頃からだったか、気に入った詩や小説の一部を書き写す、というのをしていて、そんなノートを持っていた。始めの頃はなんとはなしに好きな詩を集めていたのだったが、小説を書き抜きするというあたりからは、少し意味合いが変わってきた。それは文章上達の訓練に近かった。好きな作家の息遣いをなぞり、そっくり取り入れる作業とでもいったらいいのだろうか。
ともあれ、そんな「諳んじたい言葉ノート」を作ることを提案すると、娘は乗り気で、まっさらのノートを探し出してきて、詩集とにらめっこしつつ書き始めた。ノートの表紙には大きく「日本語であそぼノート」と書いてある。
このノートにどんな言葉が埋められていくのか、わたしも愉しみである。