my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

宵待草のやるせなさ

言っても無駄だとは思うが、言いたくなる。今日も暑い。
再開したはずのプール授業は掃除で中止とかで、それでも今回はさすがに学習したらしく、娘はプールカードだけは持って帰ってきた。偉いぞ。
寂しがりは相変わらずで、今日は駅に着いたよと電話すると、「どうしても行きたい」と駅前まで迎えにやってきた。
わたしの携帯が不通になる間、一昨日から三日間続けて母に電話したらしい。帰宅後実家に電話して、既に娘からも伝えてもらったが、メロンのお礼と、娘の様子を聞く。寂しがって、「あと三分、あと三十秒」と引き延ばしてなかなか電話を切りたがらないのだそうだ。娘には「寂しかったらおばあちゃんに電話していいよ」と言ってあるので、わたしの携帯電話の通話料も、今月の電話代も、少々予算オーバーでも仕方がないと思っているけれど、母は電話代のことを気にしてくれたらしい。そろそろ実家にもIP電話導入を勧めてみようか、と思案中。しかし実家はマイライン戦争の時にたやすく勧誘されて、NTTでマイライン契約しちゃっているんだな。
「で、何を話しているの?」
「今日あったこととか、お家にある料理の本からレシピを読み上げてくれるのよ。一日一個ずつ(笑)」
「結局話題なんて何でもいいのよね、待っていられないんだわ」
「こんなに寂しいものなのかねえ」
「寂しいわよ。寂しくて当然よ。我慢して何も言わない方が逆に怖いのよ」
「ああ、それもそうねえ」
鍵っ子だったわたしには、娘の行為がなんら不自然には思えないのだけれど、母は結局そういう面には鈍かったのだろう。わたしは我慢するタチで、いつもいい子にしていれば、きっと伝わると信じていた。あの時、ちゃんと寂しいときは寂しいと我慢せずに訴えなければ、母には伝わらなかったのだな、と今更ながら苦笑する。こんなに我慢しているのだからきっと伝わっている、分かってくれるはず、というのは、労多くして益少ない、ということを知ったのはずっと後になってからのことだ。
うんと寂しがってもいいよ。我慢しなくていいんだよ。いっぱいぶつけておいで。そう、娘の寝顔にこっそり呟いてみる。