my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

紙はいかに水分を吸うかを実感した日

学校公開日。娘を寝間着姿のままで送り出し、その後で自分の支度をする。本当はジーンズで行きたいところだが、娘が「会社に行くときみたいな格好にして!」というので、仕方なくサマーニットとジョーゼットのスカートにした。うんざりしながらストッキングを履く。休日に、しかもこんな暑い日に、化粧してエアコンのない教室でストッキングなんて、考えただけで気持ちが萎える。


公開時間に併せて到着。土曜日ということもあり、お父さん率も高く、教室は満員御礼。教壇側の入り口から顔を出し、娘と目を合わせて来ていることをアピールする。娘がソワソワこちらを向いてばかりいるので、さり気なく廊下側に退散。娘の教室は一番端にあり、向かいは配膳室なので廊下には窓がない。廊下の蒸し暑さに汗を流しながら立ち、もらったプリントで顔を扇ぎつつ、来年は扇子を持っていこう、とまた心にメモる。廊下に並んだ運動会の絵や生活科教室の様子、植物の観察日記などを眺める。


休み時間に娘が来て、教室に入ってと招じ入れられる。娘の側で見学。図工に熱中し、マジックで絵を描く娘。鼻の下をこすってしまい、コントの泥棒みたいな顔になって一心不乱に描いている。同じ班で向き合って作るので、見ていると子供たちは結構似たような絵になってしまう。こうやって白い紙に創作する姿を見ていると子供が独創的だなんて、大人の期待と幻想に過ぎないのかもしれない。イメージは経験に裏打ちされて豊かになるものだ。だから経験のない子供は何の気なしに影響されてしまうのだろう。最初に思いついた子はどんどん描いていけるが、なんとなく真似てしまった子はどんどんイメージが枯渇して苦しくなっているのが分かる。いやぁ、面白いなぁ、などと観察。
ふと見ると娘は独自の路線を貫いているようだ。他の子は自然を題材にしたものや夢のある作風だが、娘の作るのは生活臭がそこはかとなく漂う気がするのが、可笑しい。妙に細かいディテールにこだわった作品づくりは親子で似ているかもしれない。*1


午前で授業が終わり、帰宅して昼食。娘は仲良しの子のお家に、わたしは学童クラブへ行く。今年は学童クラブの保護者会で縁日の係になったのだ。縁日での保護者の出し物はヨーヨーつり。到着すると、はい、と細い紙テープを渡される。こよりの真ん中に金具を通し、またこよる。これがヨーヨー釣りの道具になるらしい。みんな円座になって、こよりを作りながら縁日の打ち合わせ。去年のレジュメがかなりしっかりできているらしく、打ち合わせは比較的スムーズ。合間に雑談。なんだか学生時代の学園祭前の支度とも似ていて、可笑しい。終わらなかった分を持ち帰り、家でもこよりを作った。指先の水分がどんどんなくなるので、お手ふきで指を湿らせて作る。こんなにこよりを作ったのは人生で初めてだ。
慌ただしいけれど、不思議に楽しい一日だった。

*1:その昔わたしも、顔そっちのけでセーターの模様をリアルに作ってみたり、構図はいい加減だが葉っぱ一枚一枚はリアルな風景画などを描いたりしたものだ。