my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

平均値を離れて

常々思ってはいたのだが、わたしはどうも女子的な部分が少ないらしい。たとえば「女が嫌いな女」ランキングの女子でも可愛いなあと素直に思うタレントさんも結構いるし、堂々1位のさとう珠緒にせよ、やりすぎだがこれはこれでおもしろいではないか、嫌うまでもない、とか思ってしまう。恐らく女子には警戒されるであろうタイプの女子とも仲が良かったし、可愛いと思える女子は割と男子的な視点で「可愛いなあ」と見とれていたりする。
男子が魅力的だと思い、女子が抵抗を覚える理由も分かる。けれど、そこで相手を貶めるような言動をしたら、落ちるのは自分だけじゃないか、という美意識もある。相手に効果的なダメージを与えようと言葉を練る人間の顔はどう贔屓目に見ても美しいはずがない。というか、ハッキリ言ってどんな美人でも興醒めする。
人生は短くて花の命はもっと短い。だから、そんなことにエネルギーを費やすのは虚しすぎる。別の部分で自分の美しいところを育てる努力をした方がずっと建設的、などと思うのだ。こんなわたしはどうも平均的女子ではない、らしい。


たとえば、「わたしのこと、どのくらい好き?」とか恋人同士がよくするような陳腐な質問をする。
村上春樹の小説の主人公みたいに「森中の虎が溶けてバターになるくらい」なんて、しゃらっと答えられでもしたら、多くの女性は感動するのかもしれないが、わたしは興醒めする。赤くなってしどろもどろしてくれるほうが、ずっと本当かもしれないと感じる。はぐらかされて、訳の分からない冗談を言ってもらう方が、まだいい。冗談の中に何か一つ本音を入れてくれたら、もっといい。
やっぱりこれも平均的な考えじゃないのかもしれないなぁ。


たとえば、男の人に所有物扱いされるのも苦手。わたしとあなたは別々の、そして共に歩くパートナーでなくては嫌だと思うから。守ってあげたいとか、幸せにしますとか、安易に言う男の人も信用しない。わたしの幸せはわたしのものだし、どれほど近しい人であっても、それは別の人が決める事じゃないから。守ってもらうより、支えて、支えられたいと思う。支え合いたいと思う。そういう部分を尊重してもらえるとき、愛されていると感じる。


そんな風に思うわたしは、やっぱり女子の平均値から遠く離れているのかもしれない……。