my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

暗夜 

暗夜 (新潮文庫)
『暗夜』 志水辰夫新潮文庫 読了。

四年間の拘置所生活を終え出所してきた榊原は、弟の住んでいたマンションへと向かった。弟は三年前本牧埠頭に沈んだ車の中で腹をえぐられて死んでいた。マンションに残った中国の古美術の美術書。そして母親が預かっていた唐三彩の水差し。生前の人間関係から中国との関係が見え隠れする。
それらを手掛かりに、榊原は人に会い、人を使い、事件を見極め、行動していく。

ふはぁ〜。面白かった。このところ本の当たりが多くて嬉しい。いや、それともわたしが本が何でも楽しく感じられる時期なのか?と勘ぐってしまうほど。
志水辰夫は始めて読んだのだが、読書通の友人*1が好きだと言っていたのが記憶にあって、今回手に取ってみたのだ。上手い。派手さはないけれど渋くて上手い。ハードボイルドタッチではあるけれども、そういった類の人気作家によくあるような鼻につく気障さとかナルシスティックな自己嫌悪*2みたいなものがない。窒息しそうな暗い夜と、そこに生きる男と女の後ろ暗い情熱、一触即発のきな臭い匂い。それらが単にファッションで終わっていないのは、主人公の独白など全くなく、淡々と外側だけを客観的に書いているからだろうか。物語はスリリングに進んでいくのに、主人公の思惑は隠されたままで、次々と行動が語られ、クライマックスまで運ばれる。小気味よいリズムで読んでいくと、こちらの予測が追いつかず、軽い驚きが何度もある。このへんは作者の筆力の賜だろう。

盗掘、貧困、汚職、歴史的遺産という大陸の匂いを持ち込んでいることも、生きることのリアリティを際だたせている。今の日本ではこんな風に貪欲で生きることにギラギラしたものを感じさせる人間はそうそういないからだ。自分の命を元手に勝者になるために、行う危険なゲーム。敗者がどれほど惨めかを身をもって知っているからこそ、ゲームは熱を帯びていく。

ここに出てくる登場人物たちはお世辞にも清廉潔白とは言い難いが、嫌悪感は不思議なほどなかった。寧ろ小気味よくさえ感じるのだ。それは自分の欲望に熾烈なまでに正直であり、欲望を満たすことに命をかけているからだろう。表面だけを巧みに綺麗事で飾って邪な欲望を隠すよりは、成り上がりたいと無様に足掻くことの方がよほど潔く映る。


誰がゲームの勝者になるのか、最後まで分からない。そしてそのエンディングはほんの少し予想外のところに用意されていて、カタルシスというよりも、志水辰夫という人の天の邪鬼な技量に「やるな」と呟いてしまう。そんな本だった。

*1:それも、わたしに劣らず、いやそれ以上にかなり渋い趣味の。

*2:何故かこの類の匂いにわたしは敏感なのである。