my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

水蜜桃の傷

娘の昨日の傷は少し乾いてきたものの、やはり痛そう。水蜜桃に下ろし金を当て、切り口が少し乾いたような傷、とでも喩えたら伝わるだろうか。
笑うと頬が痛いと言う。近所のスーパーまで出かけるときも、人が来ると塀に身をすり寄せ、後ろを向いて顔を隠してしまう。「恥ずかしいの?」と聞くと「見た人が変な顔をするの」と言う。「でもガーゼとか貼るのも嫌なの!」と言うのだ。去年は顔にとびひができたときも、こんな風に人目を気にすることはなかった。実際傷は右手の人差し指の方が大きいのに、娘が気にするのは頬ばかり。もうそういう年齢になったんだなと、一年ごとの違いを確認する。
しかし、いちいち身を隠していては歩けないので、「隠してる方が、何かな?って気になるよ。そういう人がいたら、かえって覗きたくならない? 堂々としていた方が気がつかないで通り過ぎちゃうんじゃないかな?」と話すと、ようやく顔を意識せずに歩いてくれた。


家でゲームしたりビーズを作って遊んだけれど、一番お気に入りなのは赤ちゃんごっこ(もちろん自分が赤ちゃんになり、お世話をしてもらうのだ)だった。「ごっこ」にかこつけて、たまには赤ちゃんになりたいんだろうな。
実は今日はもうお箸が使えることも確認していたのだけれど、気づかない振りをして、「食べさせてあげようか?」と聞くと「うん!」と満面の笑み。

子供たちは年齢だけで一年ごとに大人にさせられ、毎年その歳なりの役割を与えられる。本当は一斉にではなく、一人一人に応じた成長の仕方があるはずなのに、大人にはその環境を与えてあげる余裕がない。そのスピードに付いていけないときだってあるのだろう。特に心や体が弱っているときには。


お休みの間に東京ドームシティでも行こうかなんて計画していたけれど、このままでは人がいるところは、嫌がるに違いない。明日は少しだけ距離を延ばして、ビデオを借りに行くか、電車に乗るのが可能なら映画館にでも出かけてみよう。