my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

気の早い苺フロート

さて5月、という感じの心地よい天気。連休中は何をしようか、普段できない家庭サービスを、などと考えていたにも拘わらず、娘は早々に近所の子と遊ぶと(そのお母さんの同意付きで)約束してきたらしい。午前中から張り切って出かけてしまった。
その間、家事をして、身支度をして、コーヒーを淹れ、ゆったりと味わい、昼食の用意をする。僅かな時間でも、家で一人でいることができるというのは貴重だ。母親という役目はわたしの中でもっとも大事で大好きな役割だけれど、こんな小さなことでも気持ちのゆとりができる。
お昼ご飯までに帰ってきてねと約束したのに、ちゃっかり友達のお家でご馳走になり、満足して帰ってきた。恐縮しつつ、お礼の電話を入れて、お出かけ。


空は青くて、風は冷たくも生温くもなくて、爽やか。今日はわたしの用事で外出だったので、帰りにコージーコーナーでお礼の苺フロートを奢る。山のようにこんもりと積まれたかき氷。底は赤く。上は白く。たらしたコンデンスミルク。頂上にはバニラビーンズの粒々が見えるバニラアイス。側面には苺が均等に飾られている。
まだ季節的に早いかな、と心配していると、娘は氷が受け皿に散るのを惜しそうに眺めては、美味しそうにスプーンで山を崩していく。一匙すくってはこめかみを叩くので、「ゆっくりでいいよ」と言うのだけれど、こめかみを叩きながらもスプーンを持つ手は休めない。白い山は見る間に平らになり、溶けて赤いシロップの色に染まっていく。赤い氷水。

「このくらいが一番美味しいでしょう?」
問いかけて、思い出す。わたしも子供の頃、かき氷が大好きで、中でも一番好きなのはイチゴミルクだったっけ。今では取り立てて食べたいとも思わなくなってしまった幾つもの、遠い日のご馳走。夢中で食べたあの幸福感と向かい側で微笑んで見つめる大人の目。こんな風に循環していくんだ、と、子育ての最中に幾つも感じる不思議な既視感。

満足そうに平らげた娘と店を出ると、繋いだ手がひんやりとする。
「満足した?」
「うん!」
「でも寒いでしょ?」
「うんっ」

駅のホームで電車を待っていると、娘が案の定「トイレ行きたいっ!」と言い出した。反対側の改札付近に行き、トイレに行くと、出てきた娘はスッキリした顔。
「もう、寒くない〜」

繋いだ手もいつも通り温かい。電車を降りると「おなかすいた!」と元気な声がした。