my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

stand alone

会社のプリンタが壊れてしまった。
今年の春、わたしと一緒に今のオフィスに引っ越してきたプリンタなのだが、その前から使っていたので考えてみると3年ほど使っていただろうか。 LAN回線でつながれている4台のパソコンで共有しているので、もう十分に減価償却しきっていると思う(実際、法人税法でもプリンタの法定耐用年数は3年だったはず…)。当時のリース契約を調べてみると、どうやら保守契約もしていないらしい。残念ながら今のオフィスでは誰もこういうことをしてくれる人はいないので、エプソンに電話して、出張サービスを頼んでおいた。

翌日、出張サポートの方がやってきて、解体分解、部品の取り替え(トランシューターが劣化していた)、その後基盤の方もコネクタの接触不良とかで、3時間半ほどかかった。結局今日も夕方近くまでプリントアウトができずにいたのである。会社のドキュメントなども最近は、FAX送信案内にはじまり、公的文書の類まで、殆どパソコンに保存している。WordやExcelの文書ならまだしも、4台のパソコンの中には、それにしかインストールされていない特殊なソフトもあり、そのソフトから何も出力できないという状態がどれほど不便か、というのを味わっていた。

3年間で6万枚以上、毎日毎日地道に吐き出し続けていたプリンタを見て思う。
プリンタだから、と、その機械自体の役割でしかものを見ないことがある。それがどんなパソコンに繋がり、どういう仕事をさせることになるかという見えない部分を推量することを、忘れてしまいがちだ。見えているものに安心して。こんなことでも起きないと、わたしたちはついついその重要性を失念してしまう生き物だ。そしてトラブルが起きて顕在化したとき、不自由だと慌て、解決するや、喉元過ぎれば熱さを忘れ、見えないもののことも忘れていく。

だからこそ、トラブルには意味がある、と思うのだ。何をすべきかを教えてくれるから。今後何ができるかを考えさせてくれるから。
さて、特殊なソフトの入っているパソコン用にプリンタは確保して、共有用に別のプリンタも用意してもらえるよう、稟議申請でもするとするか。