my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

I'll help you.

なぜ今の仕事を選んだのか?と聞かれたら、たまたまだったとしか答えようがない。
漠然とやりたいことはあった。興味のある業界はあった。けれども、その道を思うとおりに生きてきたかと問われるとそうでもない。自分を振り返ったとき、道筋がつけやすいもの、職にありつけそうなもの、その時目の前にあった道を歩いてきただけのような気がする。
よく、「本当にやりたい仕事が見つからない」なんて言葉を聞くけれど、実は心の中で「若いなぁ」なんて思っていた。本当に好きなことだけをして生活できるほどの金銭を得られる人の方が圧倒的に少ないんだと社会人生活が長くなれば分かるものだから。
それでも人は働く。それは多分、生きていくためだけでもない。生活の糧を得ることは第一義かもしれないけれど、でも、それだけじゃない。

わたしにとって仕事は常に、優しく楽しいものではなかった気がする。いや、それではいけないのだと思いこんでいたのかもしれない。当初理解できないこともとにかくこなして、理解し、習熟し、慣れ、やがて楽になっていく。そうして、気が付くといつの間にか頼られることが多くなっていた。それは嬉しいことでもあり、時に苦しくもあった。けれど、そうしていたのはわたし自身なのかもしれない。もっと楽なスタンスでいられる道も絶対にあったはずだと、今になれば思う。
自己満足でもいい、納得できる仕事をしたかった。誰も気づかなくても、綺麗な仕事をしていくことがカタルシスだった。目の前にあることを全うしたかった。しなければ気が済まなかった、と言い換えてもいい。

誰かの仕事を手伝ったことはあるけれど、これが自分の仕事だろうか?と思いながらやったこともあるけれど、丸ごと投げられたこともあるけれど、しっかりと助けて貰ったことは初めてだったかもしれない。
「大丈夫。教えてあげるから。助けてあげるから。」

そんな言葉をわたしは生まれて初めて聞いた。
それは明らかにあなたの仕事じゃなくて、それは明らかにあなたの負荷になるというのに。全く利害が関わらないのに。
何でそんなにいい人なの? 
混乱して、申し訳なくて、逆に疑いたくなる自分がいたり。仕事ってそんなもんじゃないはずなのに、と助けて貰うことを是とできない自分がいたり。


「今日はゆっくり休んでね」
そんな言葉を数人から聞いて、労られている自分が歯痒くて、情けなかった。他の人を労ってあげる余裕が無くて、労られているなんて、まだまだなんだな、と思ったら、帰り道、頬を一筋涙が伝った。
帰宅して、そのことを友達に伝えたら「労られなれていない君が不憫だ」と笑った。
うん、たしかに、そうかもしれないけど。やっぱり申し訳なさが先に立ってしまうよ。

せめて、今日はこう思おう。こう思っていたい。
いつかわたしも力になってあげられますように。