my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

自分の場所

地下鉄の出口を出ると、ビルと皇居の緑とお堀の桜が見えて、目新しい景色に爽やかな気持ちになる。新しい通勤経路、新しい道、新しい空気。何もかもが新鮮で、どこか少し懐かしい。
歩きながらその新しさを噛み締める。
少しずつ、色んな事に慣れていくんだろうな、と思う。慣れなくてはと思う。
年経る毎に新しいことを受け容れることにプレッシャーが強くなっていくような気がするのは気のせいだろうか。意外とたやすく馴染めることも。やがて馴染めることも。

縁というのは不思議なものだ。求めれば何か呼び寄せられるように、するすると新しい場所に導かれていく。誰かが呼んでいるのかもしれないとも思う。単なる偶然であるのに、人はそれを必然とも呼びたくなったりする。
昔は自分の場所は自分で求め、自分で作るのだと思っていた。決めるのは自分だと。今振り返ると、なんとも若気の至りというか、その生意気さ青臭さに思わず苦笑してしまう。
選択肢は平等で無限なわけではない。万人にあらゆる選択が可能なわけではない。それどころか、人生には、そうするしかなかった、ということも間々ある。人はなりたいようになれるのではない。望めば何もかも手に入るわけではない。そんなことも分かるようになった。

あれはもう一昔も前のこと。何も変えたくない、変わりたくないと思っていた。変えることが怖かった。そんな自分を心のどこかで、自分らしくないのではないかと思っていた。
今、変えることが怖くなくなった自分を、わたしは少し、わたしらしくなったと思う。手を伸ばせば掴んでくれる何かがあると信じられるようになった。それはこの国に生きているからなのかもしれないけれども。

転職活動中、とあるコンサルタントさんが言ってくれた。
「人はそう思えばそれを引き寄せるそうです。いいことも、悪いことも」
本当にそうだと思う。
せめて悪いことだけは引き寄せないよう、いいことを思ってみよう。

桜が咲く。そんな季節に歩き出すのは、いつもより足取りが軽いから。