my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

残侠・初湯千両


残侠―天切り松 闇がたり〈第2巻〉 (集英社文庫)

残侠―天切り松 闇がたり〈第2巻〉 (集英社文庫)

ある日、目細の安吉一家に客分として現れた、時代がかった老侠客。その名も山本政五郎―すなわち幕末から生き延びた、清水の次郎長の子分・小政だというのだが…。表題作「残侠」など、天下の夜盗「天切り松」が六尺四方にしか聞こえぬ闇がたりの声音で物語る、義賊一家の縦横無尽の大活躍八編。粋でいなせな怪盗たちが大正モダンの大東京を駆け抜ける、感動の傑作シリーズ第二弾。


天切り松 闇がたり3 初湯千両 (集英社文庫)

天切り松 闇がたり3 初湯千両 (集英社文庫)

大正の帝都の闇を駆け抜けるピカレスクロマン。
シベリア出兵で戦死した兵士の遺族を助ける説教寅の心意気(「初湯千両」)など、時代の大きなうねりに翻弄される庶民に味方する目細の安吉一家の大活躍を描く。(解説・十八代目中村勘三郎


2巻目を読み終えてから、もうどうにもたまらず、3巻目に手を出してしまったら最後、テレビもつけず、パソコンもせず、ずるずると夜中まで闇がたりに聞き惚れてしまった。ということで一気に読了。まさか時代物にこんなにはまるとは思わなかった。

話が面白いのは無論のこと、なんとも心地よい江戸言葉のリズム。今しも大舞台がありありと見えるような躍動感。江戸っ子じゃないし、大正と言われても乏しいイメージしか持たないわたしでも、体に流れているリズムがあるんだなぁと実感する。そして、なんとも胸に沁みる松蔵の言葉。一部始終を聞き終えた後の、下げの巧さ。定型としての美しさや、そこに寄りかからない本筋の確かさ。浅田次郎という作家の持つ破天荒な経歴はやはり伊達じゃないなぁ、と舌を巻いた。


男も女も己の生き方を知り、それを貫けば、見事な本物になるのだ。こういう背中を見て、押しつぶされ崩れそうになる自分を「俺ァ男だ」と念仏を唱え奮い立たせながら生きてくれば、さぞかしいい男が出来上がるんだろうな、と女ながらにじんわりともした。こんな風に男を育ててやれるのは、やっぱり男なんだと思う。女にはどう逆立ちしたって、所詮男のダンディズムなんてものは、教えてやれっこない。それは男女平等とか同権とか、そういうことを否定するのじゃなくて、男と女は異質の生き物であって、男には男の、女には女の、フィールドがある、ということだ。


作中、婦人警官に松蔵が言う台詞に、こんなのがある。

「色恋てぇもんは、めぐり合わせたァ言え天から降ってくるもんじゃあねえぞ。仕事に精を出す分だけ一生懸命に探さにゃ手には入らねえ。ねえさんも非番で制服を脱いだときにァ、桜の代紋もきれいさっぱり忘れて、かわいい女に戻んなせえ。」

「善人とばかり付き合って退屈するか、悪党と付き合って泣き笑いするか、どっちが得かは棺桶に片足つっこんでみなけりゃわかるめえ。色恋なんてのァそのぐれえ開き直って、くだらねえ選り好みなんてするんじゃあねえぞ」


うー、なんてイタ気持ちいいのかしら(笑)。この世の中にもし天切り松がいるものなら、正座してお説教されてみたいものだ、と、ワクワク思う。