my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

カーネルの違い

http://d.hatena.ne.jp/hisamura75/20050327/p3
さすが奈々ちゃん、スルドイとまた読みながら唸ってしまった。

男はわりと、「自分=意識」「肉体=道具」だと考えているような気がする。
機械、特に合体変形メカが好きなのは、そういうことかな、と思う。クルマも、銃器も、コンピュータも、モビルスーツも「ひとつ外側の《肉体=道具》」なのだ。
その一方で、「つまるところ根性だよ」みたいな論が、男からは出てくる。
性能主義=スペック主義みたいなのも、男の考え方だと思う。


それにくらべると女は、「肉体も含めて自分」だと思っているような気がする。

 (中略)


男は最初からペニスという他者=「不随意な器官」を自分の体に抱えているのに対し、女は何度ものアイデンティティクライシスを克服する、あるいはクライシスのまま抱え込むことで自分の性、自分の体と折り合いをつけていく、ということもあるのかもしれない。

ほうほう、そうか、そうなのかも。とスペック主義説に妙に納得。

肉体=道具だなんて思ったことがなかった。でも男にとってはそうなのかもしれない。女は月の半分も微熱を出して、2種のホルモンが忙しく入れ替わり、それによって甚だしく変わる気分や作用に右往左往しながら生きている。内在する器官であるだけに全部を自分として引き受け、常に揺らぎ、アイデンティティを失いかけては見いだそうとする。
道具として分かつことができないから、女なんだろう。

男がスペック主義なのだとしたら、異性のパーツ、たとえば顔だったり胸だったり脚だったり、に、とりわけ関心を持つのも分かる気がする。なんと単純な、と思ったり、外側だけを褒められても女の心の深くには届かないのだけれど、それもこれもスペック主義故なのか、と思えば、女が思うほど失礼なものでもないのかもしれない。


所詮男と女は別の生き物、分かり合えなくて当然、とか思っていながらも、こんな差違をあれこれ考えてみるのは面白かったりする。それはきっと永遠に解けない謎だからこそ、なのだろうけれど。