my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

薄氷の上の明日

数日前から娘の鼻水が気になっていたので、午前中病院へ。鼻をかみすぎて鼻孔の横が赤くすりむけているほどなのに、一向に気にしない、その若さが羨ましい。熱もないし、苦しくもないらしく、「風邪じゃないもん!」とひたすら病院を拒否していたのだが、なんとか休日のうちに行かせたいと説得して連れていく。
口を開けて中を覗いた先生が開口一番、「あー、ここまで来てる。鼻水がカーテンみたいになってるわ」と。さすがお医者さん、喉からも見えるのね。鼻孔に管を入れて吸引してもらい、本人はスッキリ。薬も1週間分もらって帰宅。

午後は学童クラブの餅つき大会へ。広場では法被を着たお父さんたちが餅をつき、子どもたちにも体験させたり、おもちを食べたり。他には子どもたち主催のゲームやさんなどがある。娘もゲームやさんの係で、友達とこぞってボーリングにしたらしい。景品のアイロンビーズを沢山作っていたり、小さい子が出来るようにボーリングの球を軽くしたり、と色々準備していたようだ。
つきたての弾力のあるあたたかなおもちを食べ、色んな子どもの考えたゲームを一通り体験し、娘が当番になってゲームやさんを忙しく切り盛りしている様子を眺める。薬も効いてきたようで、鼻水も治まっていたし、元気なので一安心。

知り合いの保護者の方と会って話し、実は最近入院していたのだとか言う話を聞いた。それも聞いて驚くような病名だったのだが、予後が非常に良くて、もう普通に生活できるとか。その日、学童に行くときに娘の友達も入院して、昨日退院してきたばかりだとか、そういう話を聞いてしまったので、当たり前に見える日常の、なんと儚いものか、と思いを馳せる。誰だって、みな同じ日々を生きているわけではないのだ、という当たり前のようで忘れがちな現実。
疲れたとかしんどいとか思ってしまうこともあるけれど、わたしも娘も元気でいるし、日常が揺らぐような大きな出来事に見舞われているわけでもない。変わらないと思ってはいるけれど、それは実は幾つもの幸運に恵まれて平穏な日々を送れているのだ。などと当たり前の今日を有難く思う。
大変な思いをして、今このときを過ごしている人がいるのだということを、せめて忘れないでいよう。いつもそこにあると思っているものが、いつもあるとは限らないのだ、と、肝に銘じておこう。平坦でありふれた日常は実は薄氷の上にあるのかもしれない。誰だって等しく病気や事故や突然の苦しみが襲うかもしれない、という可能性を持っているのだ、誰だって必死で人生と戦っているんだ、と愚痴をこぼす前に、思い出さなくては。

と、謙虚な気持ちになれた一日であった(でもすぐ忘れて愚痴ってしまうあたりが、まだまだであることよ…)。