my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

タイムライン

タイムライン〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

タイムライン〈上〉 (ハヤカワ文庫NV)

タイムライン〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

タイムライン〈下〉 (ハヤカワ文庫NV)

タイムマシンという実に古典的なアイテムをクライトンらしい最新テクノロジーで描いた作品である。ジュラシック・パークもそうだが、クライトンが描くと「あり得るかも知れない」と思わせてくれるあたりはさすがだと思う。
思うものの、ジュラシックパークの時とは違い、最後まで読んでも量子力学とか、量子論とか、現在行われている転送実験とかに対する具体的イメージや造詣も深まるわけではなかった。そもそも量子も電子もイメージできないのだからして。*1

ともあれ、このわたしたちが生きている宇宙とそうでない多数の宇宙があって、転送されるというのはこの歴史上への過去ではなく、極めて近しい別次元へのスライドなんだということが最初に説明されたとき、驚くと言うより、非常に気持ち悪い、とか思った。
逆に言うと、そうならなかった未来もそうなった未来も確率の分だけあるわけで、よく似ていても気持ちが悪く、そうじゃなかった世界も不気味である。そんなものが有象無象うようよこの宇宙の他にあったなら、なんて想像するだに怖いし、今生きている自分のことも非常に些末に思えてくる(それはそれで楽なのだけれど)。人生は一度、わたしは一人、この出会いは一度、そう思えるから懸命に生きようとも思えるわけで。そっちこっちで似たような人がいて似たようなことをやってたりやらなかったりしたら、どうなんだろう?
やはり己の理解しうる範疇しか受け持ちたくないものなぁなどと思ってみたり。

話はそんな最先端の量子理論を応用して、過去へと転送する装置を極秘裏に開発した企業と、それに巻き込まれた歴史学教授と教授を捜しに過去へと転送される学生の話である。転送された場所は14世紀のフランス。略奪や暴行や乱闘が日常茶飯事に起こる世界で彼らは生き延び、教授を捜し、制限時間内に現代へと帰還しなければならない。アクシデントに次ぐアクシデント。刻々と残り時間は減っていく。

中世フランスの重厚な戦闘シーンは見事だと思う。クライトンの描写は歴史映画を見ているように情景が浮かぶ。静寂で深遠な森。迷路のような城。騎馬の騎士たち。重い剣、大仰な衣装。読んでいて、現代にない音や匂いや重さが感じられるのだ。蛮行と陰謀と呂辱が渦巻く、その空気の重さ。フランス中世の描き方が見事で、現代の方が現実味がなく感じられてしまう。なるほど、だから映画ではこちらに重きが置かれているのか、などと思ってみたり。
それにしてもこんな世の中に転送されたらわたしは5分くらいで死んでいるかもしれない。学生たちも徐々に逞しくなっていくのだが、やはり男性読者はマレクがかっこいいとか思うんだろうな。でも多くの女性が好きになるのはクリスだよね。でもって、わたしが好きなのは最初から危うきに近寄らないスターンかもしれない。


結論:量子力学は分かりません。それと、あのオチはやりすぎじゃないかと思う。

*1:だって高校時代、物理で30点取ったことがあるんですもの。おほほ。