my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

一人下手

昼過ぎから娘は近所のお友達の家に遊びに行ってしまい、もうどうしようもなく暇になる。こんなに手持ちぶさたでいいんだろうか?というくらい。一人の静寂を持てあまして、なにかするべきことを考えてみるが、何となく楽しめない。おかしい。わたしの実家は両親が共働きだったので、こういう静寂もひとりぼっちの部屋も小さいときから慣れている、はずだった。上京して少しホームシックになったけれど、すぐに時間を潰す方法を思いついた。思えば一人ではしんどいときも沢山耐えてきた。だから身に染みるような悲しさや苦しさではないのだが、なにかこう、判然としないまま地味に寂しい。家事は終わってしまったし、文字を連ねるにも言葉がまとまらず、メールも書く気になれず、インターネットもつまらない。お出かけする気力もない。精神的引きこもり状態で待つ。いかんいかん、こんなじゃ。
気が付くといつのまにかわたしの生活の中心に娘が居て、全部あの子を中心に組み立てられている。重圧を感じた日もあり、しんどい日もあったのに、今ではいないとどうしたらいいのかわからなくなっていて、わたしはこんなにも娘に依存しているのだと気づく。子供は親のアクセサリーではないとか、親と子は別人格だとか思っていたくせに、いざ育てていると、そんなものは絵に描いた餅であったのだと気づくのだ。そもそも、わたしってこんな人だったかしら?
でもこのままだと本当にいないとぼーっと腑抜けてしまうので、本気で何とかしゃんとしなくちゃ、と思っている。で、何しよう…(情けない)。世のお母さんは何をしているのかなあ?