my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

天の瞳 あすなろ編I

天の瞳 あすなろ編(1) (角川文庫)
灰谷健次郎『天の瞳 あすなろ編I』(角川文庫)読了。

やっぱり、幼年〜少年編が最もおもしろかったなぁ。青年になっていくにつれてどんどん説教くささが感じられる。こんなに立派なことを言う中学生なんか、天然記念物並みにしかいないだろうし、こんなに心根の美しい女子ばっかりなのも如何なものか、とも思うし。前々から感じていたけれど、立派な女子比率に比べて成人男子は圧倒的に情けない気がする。どうせ「こうあれかし!」という理想郷を描くなら、芸術家とか職人とか、自由な職種以外のもっと平凡な職業の大人の男を、かっちょよく出して欲しいものです。
でなければ、せめて、オトナの男が駄目でもしょうがないのと同じくらいに、駄目なのにかわいい(もしくは、しょうがないと受け入れられている)女子というのも登場させてあげないと、バランスが取れなくて居心地が悪い。もう少し駄目なところもあったかく見守る作者の視点が感じられないと、読んでいて窮屈に感じるんだなぁ。
バランスが取れていないが故に、どんどん小説世界の均衡が崩れ、リアリティがなくなっていく感じがした。


それはさておき、今回のラスト。大切な人との別れ。
受け入れがたい現実があるとき、それを受け入れていくのは経験なのだろうか。否定するのでも、諦めるのでもなく、ただあるがままに受け入れ、それを自分になりに昇華していく作業。それはこれまでどんな風に物事に当たり、どんな風に生きてきたかをそのまま物語るもののような気がした。逃げてきた人は逃げるだろうし、そんなものさと斜に構える人はやはりそうするだろうし、受け入れて悲しむ心を培ってきた人は大いに悲しみ、それに耐えられるのだろう。そして惜別を伝えられるのだろう。


そんな心の準備はわたしにできているのかな、などとぼんやり思う休み明けである。