my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

子供の眼

子供の眼〈下〉 (新潮文庫) 子供の眼〈上〉 (新潮文庫)
『子供の眼』(上・下巻)
リチャード・ノース・パタースン著 東江一紀訳(新潮文庫
上巻ISBN:4102160132 下巻ISBN:4102160140


前回(id:lluvia:20040415)に引き続き、パタースン。
上巻はぼちぼちと通勤時間とお昼休みに読んでいたのだが、下巻へ入ったときは金曜日の夜。止まらなかった。というわけで夜中の4時までノンストップ。まさに徹夜本であった。ちなみに衰えるお肌への心配や、明日の育児や家事への懸念を差し置いてまでわたしを徹夜に走らせた作家は、ここ数年でこの人より他はいない。

相変わらず重層的なプロットの組み方、複雑で多様な人間描写、息詰まる法廷シーン。お見事というほかない。リーガル・サスペンスというジャンルはその法律的、社会的な背景も含めて日本ではいまいち馴染みがないのと、このベストセラー作家が本国ほど日本では知名度が高くないことが、惜しまれてならない。


パタースンの小説がこれほど厚みを持っているのは、社会的な問題を扱いながら、そこに関わるのは人なのだ、ということを忘れていないからではなかろうか。彼の小説世界の人々は、いい人も厭な人も実に見事に描かれている。それがフィクションだとわかっているにも拘わらず、吐き気がするほど嫌いな男なんて、そうそうお目にかかれない。と、同様に、痛々しい人も、不憫で抱きしめたくなるような人もこの小説では存在している。大抵の小説はいい人しか描けなかったり、薄っぺらなちょっとお洒落なマネキンみたいな人しか出てこないのに、だ。


彼の作品の底辺を貫くものは、愛情なのかもしれない、とふと思う。
異性に対する敬愛、それと繋がった情愛(けして独立した情愛ではなく、得手勝手な性愛でもない)、そして家族との受容的な愛。それらに躓くことからはじまる多様な悲劇を描くことで、本質が浮かび上がる。なにもこれほど大袈裟ではなくとも、これらに纏わる誤謬は私たちの日常に溢れかえっている。些細なことから始まり、時には親から子へと不幸な連鎖を生み、だからこそ、こんな悲劇すらもリアルに受け取ることができるのだろう。不幸な連鎖を断ち切るのは並大抵のことではない。けれども、自分の人生を歩もうという決意を温かく見守る目をパタースンに感じるのは、わたしだけだろうか?

今回のヒロイン、テリは内に秘めた強さを感じる女性だ。前作の時から共感できたが、今回はわたしにとってはシンパシーを感じると同時に歯痒くもあった。本当に愛するものを守りたいと心に誓うなら、強さも時には計算も必要なのではないか。特に相手がリッチーのような男の場合は。
多分わたしだったら、あんなフェアではない。テリに「手ぬるい…」と思ったりしているブラックなわたしをたまには認めてみるのも一興。


生きると言うことは、たやすくない。
だからこそ、生きることはおもしろい。