my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

風の影

一昨日上巻を読み終えて、昨日一日で下巻読破。上巻は一文字一文字舐めるように味わい、下巻に入った昨日はもう時間さえあれば本を読んでいた。文字を目で追わなくても、集中しようと思わなくても、物語が、言葉が、わたしの中に流れ込んでくる。深夜お風呂のお湯を3回もつぎ足して、お風呂場で読了。お風呂から出たら深夜1時半。ああ、あなたの予言はいつも正しい。でも文学好きの少女じゃなくて、文学好きの少年、になっていたかも。

風の影〈上〉 (集英社文庫)

風の影〈上〉 (集英社文庫)

風の影〈下〉 (集英社文庫)

風の影〈下〉 (集英社文庫)

ひたすら本を読んでいるわたしに、娘がどんな話?と尋ねる。
わたしは答える。
「あるとき、本屋さんが、本が大好きな息子に言うの。これから行くところのことは絶対誰にも話しちゃダメだよ、って。その場所はね、『忘れられた本の墓場』*1って呼ばれているんだって・・・」

堆く積まれた本の迷宮に眠る一冊を少年は選ぶ。いや、本が彼を選んだのかもしれない。おそらくは引き合ったのだろう。本はこの世に現存するたった一冊の本だった。それ以外は全て焼き払われているのだと言う。その物語と聴き馴染みのない悲劇の作家に魅入られたときから、少年の数奇な旅が始まるのだ。
冒頭から、本に親しみ、本を愛してきた、そんな人間にしかきっと伝わらないであろう空気が行間から溢れてくる。センテンス毎に装飾と余韻のついたロマンティックなエクリチュール
これはミステリーでもありロマンスでもあり、青年の成長期でもある。読みながらわたしは、少年になり、年上の美しい人にのぼせたり、熱を帯びたバルセロナの小路を謎を調べて回ったり、顔のない悪魔に怯えたりする。ささやかなことにも若く薄い皮膚には大きな衝撃だった、あの忸怩たる青い日々たちを思い出す。やがて、物語の荘厳なモチーフが繋がり出し、紡ぎ手のシルエットが浮かぶと、わたしは少年から抜け出て、街を俯瞰する。内戦で流れた生温い血や傷や禍根や煩悩を味わう。まるでバルセロナを包む雨のように。
もう現世ではどうしようもなくなってしまった懊悩も、決して消えない抉るような悲しみも、繰り返すしかない歯車のような運命も、全てを抱えて、物語が暴走していく。いつもの、読み慣れた美しい悲劇の予感を孕んで。わたしはダニエルからヌリアになり、ああ、ここにわたしがいる、と感じる。男性作家の描く女性像は、「生きて」いないことが多いとたびたび書いてきたけれど、サフォンに至っては、ご慧眼恐れ入ります、と言うほかない。*2
予兆は予兆に終わらず、少年は行き着く。謎の果てへ。そこに見えるバルセロナの街の色を、風を、空を味わうような読後。ありきたりのようでありきたりでない、こんな結末は好きだ。
これはメロドラマでもロマンスでもミステリーでも歴史ロマンでもなく、その全てでもある。
さすが17の言語で翻訳され、37の国で出版されただけのことはある。世界は広くて言語は多種でも、人というものの本質はそう変わっていないことの証かもしれない。
いや、単純に面白いものは面白いっていうだけのことか。

*1:そもそもそんなものを想像するだけで蠱惑的だよ。

*2:時々いるんですよね。クマさんみたいなごっつい顔をして、こんなにも女っていう面倒くさい生き物を分かっている、憎いやつが。