my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

The Long and winding road

子供の日。毎年、娘は児童館の手作りイベントに出かける。母の日のプレゼント制作だ。去年は焼きビー玉、今年はビーズで編んだモチーフらしい。体調も良くなったようなので、心配しつつも送り出す。
実は密かに毎年このイベントが楽しみだったりする。お母さん、ありがとう、って言葉と一緒に差し出される小さなたどたどしいプレゼントは、胸の奥がじんわりとする。あとどのくらい、こんな幸せをもらえるんだろう。お母さんという役割はこの世で最も幸福な神様から与えられたお仕事だなって感じる瞬間。

午後から出社。先日休んでしまったので心配だった業務を片づける。休日のオフィスというのは、実は結構好きだったりする。堆く積まれた紙の匂い、空調の音、整然とした主のいないデスク。誰もいない空間は静かな放課後の図書室と少し似ている。

働きながら、自分のこの先をぼんやりと考える。
キャリアプランとか、キャリアスケールとかいったよそよそしい言葉にも馴染めなかったし*1、人生のグランドビジョンなんてものにとんと目がいかずに、ただ家と会社(少し前までは保育園も)の往復で日々を追いかけてきた。
ううん、ついこの間までは、明日も明後日も一年先も、こうやって生きていくんだろうと思っていた。いつもと変わらない日々が続いていくんだろうなと漠然と思っていた。それ以上望めないし、望むまいと思っていた。
でも、人生なんてそんな簡単に見通しの利くものじゃない。

さもない日々にも、さもない人生にも、それなりにドラマはあるもんだ。

そう言えばユーミンが書いていた。
曲がりくねっていた道も通り過ぎればまっすぐに見えるのは何故だろう、って。きっと振り返ってみたら、くすっと笑ってしまいたくなるようなことなんだろう。

帰宅したら、娘が今日の制作物を携帯電話につけてくれた。グリーンの地にわたしのイニシャルが白で編まれたビーズのモチーフ。
今年携帯電話を買い換えたので、それに合わせて手持ちのたまごっちストラップにつけてくれたのだ。可愛い。いや、彼女が作ったモノが可愛いというのは勿論なのだけれど、彼女の手が懸命に編んだと思うと、そのたどたどしさが愛おしいのだ。そしてそんな彼女が可愛いのだ。なんて言ったら、親バカと笑われてしまうだろうけれど。
いいのだ。だって親バカなんだもん。


いいんだ。わたしには君さえいてくれれば。そうやって笑っていてくれれば。
そうやって生きてきたんだし、そこから始まったんだから。

*1:アメリカナイズされた、一件格好良さそうなくせに中身のないビジネス用語をわたしはどうしても愛おしいと思えないのだ。