my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

小江戸川越散策記

あまりにストレスが溜まっているのでは無かろうかという友人のご配慮に甘え、お出かけする。どこに行くとか、何をするとか、どうしたいかとか、全て考える能力がなかったので、「全部お任せ!」と言い放つ。すると何時何分に最寄り駅のホームへ来いという非常に有難い(=めんどくさくない)指令が。待ち合わせも楽に済み、電車を乗り継ぎ、川越へ。
しかし、川越が遠いのか近いのかすら分からない、電車の料金も計算できない、という、脳死状態のわたくし。しかしそれでもぼへらーっと歩くことはできる。
友があらかじめリサーチしておいてくれたお店にて甘味を食べ、美容室の前でふんぞり返っていた異常に巨大な犬と遊び、ついでにバッグにつけていたレースのコサージュを落とし(号泣)、喜多院の境内や五百羅漢をまったりと見学した。
史跡にせよ、家屋や庭園にせよ、日用品にせよ、装飾品にせよ、職人の仕事というのは、味わいがあって優しい。時を経ても人の手の温もりがひとつひとつに感じられる。風雪に洗われ、落雷に穿たれてすら、優しい。こんな仕事を残せる人というのは、なんと幸福な職を与えられたのだろうか。名前すら知らないけれど、温もりは残せる。ビバ、職人、だ。

川越は小江戸と呼ばれているらしく、蔵づくりの町並みと菓子屋横丁が有名らしい。以前栃木に行ったときにも蔵作りの町並みは見たけれど、こっちのほうが垢抜けている。つまりは観光地として、作為的に作られたものでもあるのだろうな。ともあれ、メイン通りの看板やお店の作りは大正ロマンな感じがして、好きだった。普通にこういうお店がもっと増えても良いのかも。
駄菓子屋横丁に向かう途中で蛍光灯のような長細いものを持った人々を多く見かける。友人は「あれ、なんだと思う?」とニヤリ。「んん? 蛍光灯?」「いや。ふ菓子なんだよ」
そう言われて思い出した。以前「水曜どうでしょう」でお菓子対決をしていた時に見たアレだ。あのとき、巨大なふ菓子や梅ジャムと煎餅やら梅干しで対決していたではないか。
駄菓子屋さんは東京でも昨今よく見かけるのだが、なんだか小綺麗になるし、お値段も高くなるし、懐かしい感がない。「なんか、こんなの駄菓子じゃない……」と言いたくなってしまうのでいまいち食指が動かない。日本一と書かれた巨大ふ菓子を3本買い、たいやきをまとめ買いする友人を後目に、珍しいふくれ煎とオーソドックスなお煎餅を買い(冒険しない性格)、駅前商店街を歩いて駅へと向かった。それにしても、食す前に必ずデジカメで写真を撮る友人のまめさには感動した。来たら食べることしか考えないわたしは、彼以上に男らしいのだろうか……。パフェをぽろぽろ零して食べるわたしと綺麗に器用に上品に食べる彼…。女としての自信(そんなものは元からないけど)がふ菓子のように脆くも崩れ去る音が聞こえたか聞こえなかったかは定かではないけれど。

帰りの電車の中でしりとりをして、車窓を眺める。窓の外の風景はマンションや見慣れたチェーン店の看板ばかり。
どこへ行っても、どこで暮らしても、あまり差なんて無いのかもしれないね。
そう呟いたら、友人は、そうだねと相槌を打つ。
池袋で友人と別れた。
別れ際に「はい」と95センチの巨大ふ菓子を一本手渡された…。

食べる勇気はまだない。