my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

不器用なあなたへ

人の褌で相撲を取るようですが、考えていたことと微妙にリンクする部分があって、ものすごくスルドイなーと感心してしまったのでご紹介。*1

女は付き合いを深めていくにつれて、相手に寄りかかること、自分の足が萎えていくこと、にわりと自覚的な気がする。言い換えると、寄りかかることの「安寧」と「不安」を天秤にかけながら、相手を信頼して「えいやっ」と勇気を出して体重を預けていく、という感じ。
(ここらへん妄想度高め)


男はたぶんその段階ではわりと無自覚で、どうも雲行きが怪しいぞ、となってから、いかに自分が相手に多くを負っていたかを悟ってあわてる……のじゃないかな。


つまり女は、男と付き合っていくうちに、自分の足の力が萎えていくこと、ひとりで立てなくなること、依存しきった存在になること、に、甘美な思いを抱く、ような気がする。

ああ、そうそう、そうなのよ!と深く納得。こういう例よく見ますよ。ここで奈々ちゃんは、依存していくことへの甘美さを出しているのだけれど、甘美さより不安を抱いてしまう、ということはあるのじゃないだろうか。もちろん、どんどん萎えていく自分を心地よく思う気持ちはあるのだけれど、そういう自分が反面自分ではないような恐怖を感じる場合もあると思うのだ。この感覚は何なのだろう、と考えていて、この言葉で膝を打った。


それはある意味で一つの「喪失」、あるいは「不具化」「オブジェ化」に近い感覚なような気がする。


この感覚の受け取り方には個人差があって、萎えていく自分を美しくない、とか、これでよいのだろうか、とか思う感覚が強いと甘え下手な女が出来上がる、ような気がする。喪うことへの恐怖から目をそらせずにいるうちに、もたれかかることの心地よさを台無しにしてしまう。そんな思いを抱く人も少数派ではあるけれど案外多いのかもしれない、などと思う。

でも、傍目にはどう見えていても、実際は一方的に依存するなんてことも多分なくて(あっても続かないし)、精神的にしろ経済的にしろ、男と女は互いに依存し合っているのが本当のところなのだと思う。
思い切ってもたれかかっても、しっかり支えて貰えたときは、沢山与え合えて、前よりしっかり立てるようになっているのだから。ちゃんと甘えられてチャージしたなら、いつか誰かを支える力を蓄えているものだ、と。ちゃんと甘えなきゃちゃんと甘えさせても上げられない。ね、そういうものだと思うんだ。

と、かつてのわたしのような不器用な女の子たちに経験と実感を込めて言ってあげたい。


だいじょうぶだよ。やってごらんよ。ほら、こわいのこわいの、とんでけ〜(と誰にともなく呟いてみる…←不気味かも)。

*1:でも奈々ちゃんの「おばあちゃんの料理」云々は感覚として分からなかったの…。ごめんね。わ、わたしがSだから?(爆)