my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

死の記憶

死の記憶 (文春文庫)

死の記憶 (文春文庫)

時雨の降る午後、9歳のスティーヴは家族を失った。父が母と兄姉を射殺し、そのまま失踪したのだ。あれから35年、事件を顧みることはなかった。しかし、ひとりの女の出現から、薄膜を剥ぐように記憶が次々と甦ってくる。隠されていた記憶が物語る、幸せな家族が崩壊した真相の恐ろしさ。クックしか書きえない、追憶が招く悲劇。

BOOKデータベースより


これで記憶シリーズは全て読了。
どの記憶シリーズもクックらしく、そして外れなく面白かった。緋色では思慕への痛みを、夏草では青春の切なさを、夜では衝撃と救いのなさを味わってきたが、今作は少し趣が異なっている。それが過去の事件であることも、喪われつつある記憶の中だと言うことも差違はないのに、作中主人公がひたすら探っていくのが、被害者ではなく加害者なのである。ミステリーではごく当たり前の犯人が何を見、何を感じ、何を欲したのかを探るという行為が、クックにかかるとこれ以上なく深遠で不気味で、それでいて静謐で、妙に同調するような懐かしさもあるのだ。
心の深淵を探るとき、己が深淵も見ずにはおられない。ミイラ取りがミイラになるやもしれぬ、そんな不穏な気配さえ抱きながら読み進める。そしてそんな主人公を拒絶するのではなく、何処かで理解し、許容してしまえる自分がいる。つまりはわたしも、そんな男たちに近しい生き物なのかも知れない、と不安が頭をよぎる一瞬がある。その自分の腫れ物に触るかのような不思議な緊張感。
もともとわたしは自分のことを男っぽい部分があるとは思っているが、こんな気持ちが理解できるというのは(実際行動するかどうかは別として)、やっぱり男っぽいんだろうなぁ、と思いながら読んでいた。少なくともここに登場する女たちよりはずっと理解しやすい。男性の視点で見れば女とはこういう感じなんだろうな、とは思うがそれでも彼女たちに共感はしない。しないけれども、そういう男たちと対峙する女としての痛みも分かる。そういう意味で痛く、そして心惹かれる物語であった。
ラストの顛末は切なく、そして僅かに温かいのも、クックらしい。

地味な日常と義務の累積が男たちのロマンスを枯渇させてしまうのだとしたら、女たちはどう生きればいいのだろう。少なくとも、大切な人の枷になることなど望みたくはない。
ひとときの情熱に優るものを、一生満たせるロマンスを、枷を共に負う繋がりを、大事な人の前では奏でられる女であればいいのだけれど。それは法外な望みなのだろうか?