my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

言葉が出ない

部長から「悪いけど電報頼むよ」と貰ったファックス用紙。関連会社の役員の方の訃報だった。何度かお話ししたことがある方だった。その笑顔が浮かんできて胸が痛む。役員の中では若く、まだそんな歳ではないだろうに。台紙や弔電を選びながら、喪主である残された奥様のことを考える。働き盛りの大黒柱を失ったお気持ちを慰めるものなどないのに、こんな時言えるのは無難な当たり障りのない定型文でしかないのか。故人や故人の奥様に対する情報がなければ、言ってあげるべき言葉や言ってはいけない言葉の選択さえもできない。だから定型文なのかもしれない。言うべき言葉など見つからないから。それでも、それはそれで何かを言いたくて文例を漁り、電報を送る。

いつか、終わることがあるのだと頭では分かっていても、大切な人を喪うことを受け入れる日のことを、考えることを先延ばしにして生きているわたし。想像することさえできない、いや、したくない未来。それでもそれは確実にやってくるのだろう。その時何を思うかは分からないけれど、心の準備すら出来ないまま、動揺し無様なままで、わたしはその日を迎えるんだろう。それでいいと何故か思う。