my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

捨てる痛み

北海道に住む妹から珍しく荷物が届く。ジルスチュアートの靴箱の底から出てきたのは、お化粧品の数々。しかも殆どブランドもので殆ど未使用。妹はデパートのコスメ売り場の常連なのだが、その外面の良さが災いし、ついつい新色や限定品などを買わされている。そして溜まってしまうと、生来の潔癖性から処分せざるを得ず、しかも捨てるには惜しい綺麗なものは「おねえちゃん、もらって」となるのである。潔癖性故、貰って不愉快になるような使いかけの類は全く入っていないのだが、わたしも気難しいので「これは欲しい」「それはいらない」と言うのも承知で「いらなかったら捨ててね」と書いてある。
取りあえずチェックする。使えるラベンダー系、ピンク系、ブルー系のみピックアップ。リップは外資系のは匂いが強くて苦手なのでNG。結果非常に残念なのだが半数以上が使わないと思った。黄身の強い、わたしには似合わない色が多いのだ。きっとBAの口車に乗せられたに違いない、色白の妹には不要であろうテラコッタ色のパウダーとか、濃い深いブラウンとか「これはクレオパトラか!?」というようなグリーン、「あんたはプリンスか!」と言いたくなるようなパープルとかのアイシャドウが目立つ。ジェニファー・ロペスのようなエキゾチックな顔立ちならともかく、日本人には難しい色味が多い。……なんでこれ買ったのかなあ?
BAのセンスが悪すぎなのか、そもそも妹が似合う色を分からなさすぎなのか。そういえば妹って、ちょっと趣味派手なのだよね。ああ、これがお金だったら、と思うと勿体ないなぁ。

化粧品業界はこのところどんどん先のシーズンに向けて新色を打ち出してきて、つい新しいのを買ってしまいがちなのだけれど、好きで使い切る色なんて実はそう多くない。ついつい使ってしまう色といつの間にか忘れられていく色と。巷に色は溢れているけれど、自分に似合う色は限定されている。流行を加味したとしても、質感やカラーを吟味すると、必要な物なんて実はそんなにないのかもしれない、なんて思う。

とにもかくにも捨てるという行為とあげるという行為は、同じ手放すという作業なのに、何故こうも心持ちが違うのか。捨てるという行為には常に胸の痛みが付きまとう。いいよ、わたしがその痛みを肩代わりしてやるよ!などと思いつつ。
センスはお金では買えないけれど。失敗して無駄使いして捨てる、そういう痛みを通して学ぶしかない。だからしっかり学習しなくちゃと、自戒を込めて思うのだった。