my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

極大射程

極大射程〈下巻〉 (新潮文庫) 極大射程〈上巻〉 (新潮文庫)
『極大射程』 ISBN:4102286055 ISBN:4102286063
スティーヴン・ハンター作 佐藤和彦訳 新潮文庫


「このミス」1999年海外編の1位に輝いている作品。
正直言うと、軍事サスペンス系は触手が動く分野ではないのでまったくの不案内。というか、射撃や政治や軍事、って、語弊はあるけどやっぱり男の玩具じゃないかという感じがするわけで。そしてそれらにどう対処して生きていくかという男の生き様は当然ながら今ひとつシンパシーが持てないわけで(何故か「北の国から」純風)。
「おもしろくないわけじゃないんだけど、男ってどうしてこういうピストルとか権力とか、何に命を賭すかみたいな非生産的なパワーゲームが好きなんだろう。やっぱり男と女は相容れない生き物であることよ。ひょっとしたらわたしにはこの本の真の面白さが分からないかもしれない」などと思い始めつつはじめは読んでいたのだが。


昔戦地で英雄であった名スナイパー。今は偏屈で人嫌いの、山に住む孤高の主人公ボブ。重罪犯を追跡中、不運から狙撃に失敗したFBI特別捜査官ニック。ともに才はありながら運に恵まれたとは言えない男が奇妙な縁で繋がった当たりから俄然スピードが上がった。
二人は不運と策略の泥土の中へずぶずぶと足を踏み入れていく。手に汗握りつつ、二人の行く手を見守るように読んだ。


時代遅れの頑迷なカウボーイみたいな男が、如何にかっこいいか。こういう男の、借りはきっちり返す、という言葉が如何に重いか。自分の流儀で借りを返そうとする、その1セントの釣りさえ残らない返し方。いや、害意、殺意には相応の応酬をするけれども、善意には律儀で、気前の良い礼の仕方。更にかっこよすぎなのは、ボブは自分の利益はけして享受しようとしないところだろう。ただ、彼が望んだのは元の生活に返ることだけなのだ。彼は得を考えない代わりに、被った被害だけを跳ね返そうとしているだけなのだ。それが望むことさえ挫けてしまいそうな壮大な罠であっても。諦める方が楽に見えるときであっても。
マイナスもプラスも望まない。自分の築いたものだけでいいというシンプルで力強い生き方。こういうのが、アメリカの南部男の格好良さなのかと、妙に腑に落ちた。日本の武士道とはちょっとテイストが違うものを感じていたのだが、これがきっとカウボーイなんだろうな、などと思ってみたり。


それにしても、男は「このために生きているんだ!」というアドレナリンの漲る瞬間を求める生き物なんだな、と思う。もちろんボブはそれを求めて生きているわけじゃないし、否応が無く寝た子を起こされたわけだけれど、狙撃している間は狙撃そのものが彼であり、彼そのものが銃であったようにすら思えた。照準を合わせるその「瞬間」には、多分生きる目的も、大事な人も、命の軽重も、それこそ何も考えていないのだろう。それだからこそ、いい戦士足り得るのだけれど、それは女のけして届かぬ境地でもある。深く暗い峡谷のような。
それでも峡谷に向かって「生きて、生きて、生き抜くのよ」と愛しい男に女は叫んできたのだし、これからも叫ぶんだろう。


後半のえげつない予審裁判には、序盤のほんの僅かな伏線が見事に生きてくる。前半中盤の息詰まるような展開から、一気に、視界が開け、新鮮な空気を吸い込む感じ。これぞカタルシスという感じの気持ちのいいエンディングだった。



余談だがサリーがニックに言った台詞に妙に感じ入ってしまった。最後に、メモしておこう。

ボブ・リー・スワガーの得意技は窮地を脱することかもしれないけど、あなたの得意技は誠意よ。

わかるなぁ。たしかに、かっこよすぎなボブより、地味で粘り強いニックの方がわたしは好きだ。