my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

最後の夏祭り

夏休みの初日は決まって学校の校庭でお祭り。今年のわたしのお手伝いはジュースの売店。PTAも最後のおつとめだなあと思うと、開放感。しかし、意外と子供達にジュースを売るっていうのは楽しく、(要するにお母さん付き合いっていうのがちょっと面倒くさいだけで子供の相手は負担じゃないわけだ)あっという間にジュース完売。
同じ係に保育園時代からのママ仲間がいて、終盤「ビール飲みたい」とずっと横で呟くので、「久々に行く?」なんて言って、当番が終わると、まだまだ遊ぶ子を放置し(←酷い母親二人)、近くのファミレスへ。
わたしのここ1年半の流転の転職について話し、互いの仕事のことや家庭のことなどを話す。最近「お一人様の老後」を読んだという彼女。もちろん彼女はシングルマザーじゃない。ここはもうガールズトークとは一線を画す濃さである。聴いててわたくし、「むーりーーー」とからだ巡茶のCMの広末さんばりに反応しました。わたしはなにも彼女のこと分かってなかったんだな。
彼女の話を聞きながらぷんすか怒り、「お前が言うな」とかツッコむわたしに手を叩いて笑う彼女。わたしならとっくにいない。。。と思ってしまった。
「それにしても北海道の女は強い」と言われた。そうかなぁ。耐え続けることの方がずっとずっと強さが必要じゃないかなぁ。偉いなぁ、結婚って維持するのが大変だなあ、とか、思っちゃう。それとも、人とは添うてみよ、とか言うけれど、それができないわたしが問題なのかしらん。でも納得できないなら、納得するまでぶつからないと、そしてお互い妥協点を見つけないと、やっぱり維持できないよ、わたし。人と人との関係で、どちらかが一方的に負荷を負っているのならば、負荷だと感じるのならば、それはもう枷でしかないでしょう。そんなの、悲しい。女の優しさと弱さに胡座をかく男は嫌いだ。
サワー1.5杯で日も暮れたので慌ただしくお開き。彼女の言葉が耳に残る。「人は変えられない。変われるのは自分とこれからだけって思う」
うん、本当にそう。「これから」さえあれば、わたしは生きていける。そう思ったんだ、あの時。
今度ゆっくり話そうね。

帰宅したら、鍵を忘れた娘が、浴衣をぐしょぐしょにして家の前で恨めしそうにわたしを見ていた。
「や、ごめんごめん。○○ママとビール飲んでた」
「なんですとぉぉ」
ごめんね♪