my trivial daily life

観劇備忘録のようなもの

『サンセット大通り』Bチームを観にいく 

  • at 赤坂ACTシアター
  • 2015年7月18日 ソワレ
  • キャスト
    • ノーマ・デスモンド        濱田めぐみ
    • ジョー・ギリス          柿澤勇人
    • マックス・フォン・マイヤーリング 鈴木綜馬
    • ベティ・シェーファー       夢咲ねね
    • アーティ・グリーン        水田航生
    • シェルドレイク          戸井勝海
    • セシル・B・デミル        浜畑賢吉
  • 作曲    アンドリュー・ロイド=ウェバー
  • 作詞・脚本 ドン・ブラック、クリストファー・ハンプトン
  • 演出    鈴木裕美

濱田・柿澤組の東京千秋楽。
2年前の初演(安蘭けい・田代万里生主演)を観逃していて、再演は絶対に行こうと決めていた。
今回はノーマとジョーがWキャストで、安蘭・平方組と濱田・柿澤組になったため、どちらも観なきゃわからないでしょうとどちらも千秋楽を抑えて、連休他にすることないのか?!的な感じに。
主演二人のWキャストだとシャッフルされるとパターンが4つになってしまうのだが、今回はコンビ固定なので2パターンのみ。リピーターを増やしたいなら、いろんなパターンを作ったほうが儲かるのではないかと思うけれど(某帝劇方面とかのように)、あえて組を固定しているのは、きちんと完成されたものを客前に出すための鈴木裕美さんらしい配慮だと思う。そういう細やかさ、お客に良心的である姿勢、大好きです。

で、濱田・柿澤組の最大の魅力は歌唱力。この二人ならALWの美しい曲を堪能できるに違いないと期待して観劇。


舞台が始まってすぐに引き込まれた。
夜。ノーマ・デズモンド邸の前。懐中電灯を手に警察がバタバタと館に入る。客席の前列が青い光を浴びて揺らめき、誰かが「プールだ!」と声を上げる。
ああ、舞台だけでなく客席まで空間を使い、プールに見立てているんだ。美しいな、と思う。警官が客席を照らしたり、一人はモップを持ち出して水をかく。

突如スポットライトを浴び、プールからすっくと立ち上がる男の背中。その背中を見て、とっさに「ああ、ジョーがいる!」と思ってしまった。なんて美しいオープニングなんだろう。なんて計算されているんだろう。
世界にいきなり引き込まれていく。
観客がその世界に馴染むのに時間がかかるってことを、最初が肝心ってことを、よくわかっていらっしゃる。


ジョーは舞台に上がり、皮肉に笑いながら半年前の話を歌いだす。
無一文で仕事にあぶれた売れない脚本家。借金取りに追われ、差し押さえられそうな愛車をこっそり古びた豪邸のガレージに止める。その屋敷の主は、かつて無声映画時代の大スター、ノーマ・デズモンドだった。



と、ここから先は、ビリー・ワイルダー監督の映画「サンセット大通り」を観た方なら、よくご存知のお話ですが。
学生時代に名画座に通っていて、何気なしに観たこの映画。「サスペンスものかー、面白そう」くらいの気持ちで見始めて、もう、ラストには、「なんなの、この映画・・・」ってくらいグロリア・スワンソンの表情に持っていかれてました。
超怖いんです、衝撃だったんです。でもね、怖いのと哀れなのと同時に魅力的だったんです。
昔の栄光を今も引き摺り、自分が20年経った今も未だ美しいと思っている女なんて、醜悪だ、笑い種だと思うでしょう?
でも、女の業が深ければ深いほど、ノーマは魅力を放つ。狂気に落ちて、その美しさは凄みを持つ。
闇が深ければ深いほど輝く美しさ。そういうものがあるんだと思い知った若かりし私。

原作も面白いですし、音楽もいいとなれば、期待できる。あとはオケと役者と演出と舞台と!
オケ、オーバーチュアが聴き応えがありました。
手前と奥で同時進行する舞台の使い方もスリリングで見応え十分。
脇の一人ひとりまで細かく指導されたであろう生き生きした演技。出はけの自然さは細かに計算していないとこうならないだろう、と唸りました。


濱田めぐみさんのノーマは期待通りの歌うま。
柿澤ジョーも歌うまでストーリーテラーとしても、聞きやすい。
二人とも大ナンバーをものにして歌いこなして、耳が幸福。
数日たってサンセットを思い出すとき、再生されるのは濱田ノーマ・柿澤ジョーの歌声。
ただ、これ、映画のサンセットとだいぶ感じが異なる。
後に安蘭ノーマを見て思ったのは、あくまでAバージョンあってのBバージョンなんだなと。


濱田ノーマは、気づいている。自分がもう世界から忘れ去られていることも、自分が若くないことも。
だからずっと人の視線にも世界にも怯えている。ジョーの愛を当然と受け取るというよりは縋り付いている。


私が思うノーマ・デズモンドはたとえそこに自分に都合の悪い事実があったとしても、「見えていない」女だ。
老いも衰退も「見えているのに見えない」女。
だが、濱田ノーマは「見えてしまっている」んだと感じた。必死で目を逸らしているだけ。
美しい歌声と壊れかけているか細いノーマ。
そして、張り詰めた糸がぷつりと切れてしまったようなラスト。


対して、柿澤ジョーはギラギラしたオスむき出しのジョーであった。野心家で打算的で、その表情は邪悪。
柿澤君は好きなので、好意的に観ようと何度もオペラグラスで確認しては、悪すぎるジョーに閉口。こ、これ、売れない脚本家っていうよりゴシップライターとかギャングのほうが似合うんじゃ・・・。
いや、なんか、こんな顔してたらベティー惚れないよ?一緒に深夜まで脚本書こうとか誘ったり出来ないよ?とか心配になる。
ベティーにもがっつく。心なしかベティーが辛そうに見える(すみません)。ベティーとうまくいくと、るんるん♪で帰宅する。
ただ、ラストで柿澤ジョーは本当はいいやつだったんじゃない、と思わせる。ベティーに全てを打ち明ける歌唱は圧巻。


柿澤ジョーはノーマを利用したけれど、最後の最後まで悪いやつにはなれなかった。
そして濱田ノーマはずっと眼を背けていた現実を突きつけられ、退路がなくなり壊れてしまう。
はみ出した真っ赤な口紅、壊れた旋律、階段から降りてくるノーマに最後まで夢を見させようとするマックス。
ノーマか?と言われたらなんだか違う気もするけれど、これはこれで味のある繊細な舞台でした。